琉球王国繁栄のヒミツをさぐる
地の利を生かして繁栄した「琉球王国」
沖縄には、かつて「琉球王国」がありました。1429年に尚(しょう)氏が統一し、450年にわたって続いた国です。国といっても現代の国家とは違い、国境が明確な線で区切られていたわけではありませんでした。また、17世紀までは国内外の行き来も比較的自由にできていたようです。中国や日本から多くの人が琉球を訪れ、中には定住する人たちもいました。中国と日本の間に位置し、東南アジアとも近い琉球には、貿易を生業とするヒトや船、それらがもたらすモノがあふれていました。
周辺国との良好な関係でその役割を広げる
周辺国との良好な関係も琉球王国繁栄の理由の一つでした。当時の中国は明の時代で、琉球は明に貢ぎ物を持って挨拶に行く朝貢(ちょうこう)を行っていました。その見返りとして明との貿易が認められ、また、琉球国王は中国皇帝から一国の王として認められる冊封(さくほう)を受けていました。日本の為政者である足利氏やその配下の大名たちとも書状(手紙)のやり取りを行って貿易を展開、さらには、東南アジア各国へも積極的に船を派遣しました。東南アジアで得た品物を中国や日本へ、中国との貿易で得た品物を日本や東南アジアへ、といった形で琉球の貿易は成功をおさめます。中国と日本の関係が悪化した時には、両国を仲介するなど、琉球王国が政治的に重要な役割を果たすこともありました。
「適材適所」で他国出身者を貿易に活用
琉球王国は、国外からやって来た人材をうまく活用していました。それが王国繁栄のもう一つの理由です。中国と貿易を行う際には、中国から来た人やその子孫に漢文の文書作成や船の操縦を任せていました。日本へ送られた外交使節の中には、日本出身者が通訳として参加していました。自らが苦手なことは、他に任せるという「適材適所」に長けていたのです。
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先生情報 / 大学情報
名桜大学 国際学部 国際文化学科 上級准教授 屋良 健一郎 先生
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