「言葉にできないこと」を表現する、難しさと楽しさ
小説に感動するのは、なぜ?
私たちは、「もの」や「感情」を言葉に変えて表現します。しかし、あまりに怒ったとき、悲しいときには、言葉が出ないことの方が多いでしょう。つまり、すべてが言葉に置き換えられるわけではないのです。そして、言葉に置き換えられない部分にこそ、言葉を発している人の個性や特徴などがあるのです。
私たちは、他人と共通すること、共有できる部分を言葉に置き換えています。これを「概念化」と言います。概念化するということは、一般化するということです。ところが、その人だけが持っている思いは、言葉にすることで抜け落ちてしまいます。小説家は、その抜け落ちている部分を自分の言葉ですくい取ります。小説を読んで感動するのは、今まで言葉として表現できなかったものを、小説家が代弁してくれることに喜びを感じるからなのです。
生徒に教えられることもある
国語の作文は、他人にわかってもらえる文章を書く訓練が基本です。そして、子どもたちが「言葉にできない部分の文章を書けるようになる」、そこまでするのが本当の国語の授業です。とはいえ、生徒が書ききれないことは、先生からは見えません。それが難しいところです。時には先生と生徒が言葉の上で、格闘することもあります。「そのように表現する方法もあったんだ」と教師が気づくこともあります。それは、ほかの教科にはないことで、国語の面白さと言えるでしょう。
教師として必要なこと
国語に限らずどんな教科でも、子どもたちに表現する喜びを感じさせる場を作ることが、これからの教育には特に求められています。自分だけの思いは、自分だけの言葉で、自分だけの表現手段でしか表せません。これを引き出すのは、教師の技術ではなく人としての温もりです。言葉を仲立ちとして、全身からにじみ出る温かみで、子どもたちの力を引き出せる教師が理想です。
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先生情報 / 大学情報
桃山学院大学 人間教育学部(※2025年4月開設) 人間教育学科 教授 湯峯 裕 先生
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