兼好は暇じゃない! 「つれづれ」に込められた思いとは?
兼好ってどんな人?
『徒然草』を知らない人はいないでしょう。しかし、筆者の兼好がどんな人物だったか、あなたは知っていますか? 「つれづれ」はふつう「暇」と訳されますが、兼好は実はとても忙しい人だったということがわかっています。身分の低い兼好は、広い人脈と豊富な知識で世を渡り歩いていきました。人づきあいが多く、忙しいはずの兼好が、なぜ「つれづれ」と表現したのか、誰に何を伝えたかったのか、視点を変えてみると、さまざまな疑問が生まれてきます。
「硯に向かふ」に込められた思い
現代では、ネットやSNSが普及し、書くという行為は一般的になりました。しかし当時、紙はとても貴重な物でした。随筆のように、会って話せば済むような日々の出来事を紙に書くことは、決して「当たり前」ではなかったはずです。まして、兼好の身分を考えれば、そこには相当の思いがあったことが想像できます。当時、硯は「引き寄せる」ものとして表現されていましたが、兼好は序段で「硯に向かひて」と表現しています。これは『源氏物語』の浮舟の物語を参考にしたと考えられています。浮舟は山里でやることなく硯に「向かふ」のですが、この表現から、兼好が「書きたいことがあって書いている」というよりは、「書くこと自体を目的としている」ことが推測できます。
作品を適切に評価すること
『徒然草』は244の章段から構成されています。各段のテーマは人生論、逸話、雑記など多岐にわたり、文体もそのつど変化するなど、他には類を見ない作品です。女性にひどく批判的であるなど、内容そのものは賛否が分かれそうですが、ここぞというときにうまい言い回しで的確に表現するさまは、兼好が優れた書き手であることを示しています。その言葉がよく練られたものかどうか、作品を適切に評価することは、優れた文化を生む土台となります。くわえて、『徒然草』の価値を正しく評価し、兼好の書記行為の原動力を探ることは、そもそも人にとって「書く」とはいかなる営みなのかを明らかにすることだといえるでしょう。
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先生情報 / 大学情報
学習院大学 文学部 日本語日本文学科 教授 中野 貴文 先生
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