「私小説」は「事実」だけで成り立っているのか?
カミングアウトから生まれた「私小説」
明治の末頃、自己暴露のような形で心に秘めた思いを明かす風潮が日本に広がりました。そこから生まれたのが「私小説」で、今で言う「カミングアウト」から生まれた文学と言えます。例えば自伝は、偉業を成し遂げた、あるいは特殊な経験をした人の記録という様相が強く、多少美化されることもあります。一方で私小説は、普通の人の日常にも伝えるべきものがあるという観点から書かれています。その点ありのままの傾向が強いのですが、作者の願望や理想、あるいは読み物として面白くするための虚構は加えられています。
『人間失格』は太宰治の実人生?
事実と虚構が混ざり合う中から、作者や友人、あるいは家族の名前といった固有名詞を主な手掛かりに、読者はその作品が作者自身のことかどうかを判断しています。広く小説全般を見ていくと、作者自身や周囲の人間をモデルにした作品は案外多くあります。情報を総合的に分析すると、田山花袋の『蒲団』や志賀直哉の『城の崎にて』などは事実の割合がかなり大きい作品です。他、よく知られた小説だと、堀辰雄の『風立ちぬ』も事実に基づいています。意外にも太宰治は虚構の割合が大きく、太宰自身のこととみなされがちな『人間失格』も、ラストに代表されるようにかなりの部分が虚構です。以前は破滅型私小説作家の代表とされていた太宰ですが、現在はその認識もだいぶ薄まっています。
日本人は他人のプライベートが好き?
私小説はよく日本独自の作風と言われ、今でも私的な部分を描いたコミックエッセイが愛され、ひとつのジャンルとして定着しています。海外の人から見ると、なぜ日本人読者がそこまで他人の生活に関心を寄せるのか、興味もあるようです。この答えを導き出すには文学だけでなく、背景にある文化や社会性も踏まえて考えるべきでしょう。一方、海外にも作者が自分自身のことを書いた小説はあります。真に日本の私小説が独自なものと証明するには、海外の自己語り文学とどこが違うのか、共通点と違いを明らかにする必要があります。
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大正大学 文学部 日本文学科 教授 梅澤 亜由美 先生
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