戸籍の戸(こ)は家族ではない? 古代の民衆を支えた親密圏とは
古代の戸は家族なのか?
東大寺正倉院に奈良時代の戸籍が残っており、そこに記された人々の年齢、性別、名前などを分析すると、当時の庶民の姿が見えてきます。しかし戸は、必ずしも実際の家族の姿を示しているとは限りません。例えば戸籍を調べてみると、20代や30代の成人の場合、夫婦がともに記載されているケースは非常に少なく、また当時は夫婦別姓であったことがわかります。古代の戸とは何でしょうか。古代の夫婦生活や家族の実際の姿をひもとき、家族と戸の関係やその背景にある当時のジェンダーの問題を考えます。
古代戸籍によって作られた父系家族
古代戸籍の戸は、一見、男性戸主中心の父系家族のように見えます。しかし、実際の家族は、母と子が同居し別居する夫がそこに通う、母子のきずなが強い小家族でした。戸が父系家族のかたちをとる理由は、戸籍制度が日本にもともとあったものではなく中国から伝わってきたことと関わります。古代中国は、日本と異なる父系家族中心の社会でした。日本が中国の戸籍制度を取り入れたとき、中国の戸をモデルにして家族を疑似的な父系家族にまとめあげたと考えられるのです。国家によって型にはめられた父系家族は平安時代にかけて定着していき、日本の歴史的な家族形態になりました。
家族を超えた親密圏
古代社会では家族よりも村が意味を持っていました。離婚・再婚が頻繁に繰り返され、家族が流動的であったためです。例えば、奈良時代の村には「ヨチコ」(吾同子)と呼ばれる同世代の仲間集団があり、親密な関係を結んでいました。15~20歳くらいの若者で作られた「ヨチコ」は、春と秋の祭りに合わせ「歌垣(うたがき)」を行っていました。これは結婚相手を見つけるために男女が集団で和歌を詠み合う催しです。『万葉集』には「はないちもんめ」の原型となった歌もあり、意中の相手について「ヨチコ」同士が相談する描写が見られます。
このような家族を超えた親密圏があったという事実は、単独世帯の増加や社会での孤立など、現代の課題においても参考になると考えられます。
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専修大学 文学部 歴史学科 教授 田中 禎昭 先生
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