中国現代アートを切りひらいた「アイ・ウェイウェイ」って?
中国現代アートの始まり
中国の美術家アイ・ウェイウェイは、社会運動の活動家という一面も持っています。アイは、文化大革命直後の1979年、前衛芸術家集団「星星画会」に加わりました。「星星美術展」では、彫刻家の王克平による「万々歳」をはじめ、中国芸術史に残る作品が発表されました。当時の社会や体制への批判を込めた作品が多いこともあり、中国当局による弾圧は厳しくなります。アイは、政府に失望を覚え、1981年中国から脱し、アメリカ、ニューヨークへと移りました。星星画会には、中国に残り活動を続けていたメンバーも多くいましたが、次第に当局による締め付けが厳しくなり、フランスや日本など、国外で活動せざるを得なくなりました。その後もアイと星星画会のメンバーとの交流は続き、展示や回顧展にも作品を出展しました。
アメリカでとにかく生活する
アイは12年間のアメリカ滞在中、アートでは当然生活できず、いろいろな仕事をします。家屋の修繕から電気工事、映画のエキストラにベビーシッターまで、何でもやりました。また、アイは多くの報道写真を撮り、メディアに掲載された実績があります。しかし、あくまで「自分はジャーナリストではない」という姿勢を貫いていました。何かになるために活動していたのではなく、写真を撮ることやそれによって見える世界に興味があったのです。
真っすぐな鉄筋が表す悲劇とは
2008年に起こった四川(しせん)大地震は、アイが訴えかけるテーマのひとつです。不正建築の校舎の倒壊によって、五千人もの生徒たちが亡くなりました。アイは作品でそれらの校舎の鉄筋を使用しています。「曲がった鉄筋をあえて真っすぐに直しても、子どもたちの命が戻るわけではない。でも、そうしないではいられない」という強い憤りや悲しみが込められています。このように、アイは作品を通して、中国政府に対して痛烈な批判を投げかけています。
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埼玉大学 教養学部 教養学科 教授 牧 陽一 先生
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