歴史の常識は変わる! 天皇と摂関家は対立していたのか?

摂政・関白は天皇と対立していた?
平安時代、藤原氏は天皇の外戚となり、摂政・関白の役職を独占して摂関政治を行いました。従来、摂関は天皇の権力を脅かし対立する存在として理解されてきました。しかし、最近の研究では異なる見方が示されています。
そもそも摂政とは、天皇が幼い場合に政治を代行する役職です。当時の天皇は30歳前後で亡くなってしまうことも多かったため、次の天皇が幼い子どもになることがありました。そのため、政治を行えない幼帝に代わり母方の祖父やおじが摂政となり、政務を執り行ったのです。また、成長した天皇の政治をサポートする役職としては関白が置かれました。
天皇と摂関の関係
院政期には、藤原忠実は鳥羽天皇の摂政として、天皇の儀式の作法を手取り足取り教えたり、食事の管理をしたりしていました。この時期は上皇が天皇に代わり政治の実権を握った時代です。天皇のそばで上皇が政治を動かしたと想像するかもしれませんが、上皇は天皇が住む内裏の外に居所(院御所)を構えていたため、天皇のそばで実際に支えるのは依然として摂関でした。内裏で一人過ごすことの多い天皇にとって、最も頼れる大人が摂政や関白だったのです。
制度の継続を支えた関係性
従来の歴史観では、天皇と摂関を対立的にとらえて政治の流れを理解してきました。しかし、実際には両者は一体となって機能していたと考えるのが自然でしょう。摂関は天皇を補佐し、その経験や情報を蓄積・継承する役割を果たしました。平安時代の初期は、皇位が兄から弟へ継承されることが多く、天皇家が枝分かれして政治が不安定になっていました。「承和の変」という事件の後、皇位は父から子へ継承する原則に変わり、この流れを支えるために摂関政治が発展していきました。摂関が天皇のそばで支える仕組みがあったからこそ、天皇制は続いていったのです。
歴史は、単純に勝者と敗者の関係だけでは語れません。異なる視点から見てみると、隠れていた事実が見えてくるのです。
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龍谷大学文学部 歴史学科 日本史学専攻 教授樋口 健太郎 先生
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