アダム・スミスは「経済学者」だったのか?
「自由」と「自由放任」の違い
諸個人が自由に自己利益を追求すれば、「見えざる手」により社会の利益も促進される。『国富論』のこの部分への着目によって、アダム・スミスはしばしば自由放任主義者とみなされます。しかし彼は『国富論』以前に『道徳感情論』を著し、人間社会の秩序を問いました。そこには、利害関係にない他者の目、すなわち「公平な観察者」を想像し、自身の行動や感情の妥当性を自分で判断する人間像が描かれています。それを念頭に置くと、経済活動の自由とは、諸個人のモラルを出発点とし、それによって形成される社会秩序の枠内に成立するものだとわかります。スミスを「経済学の父」「自由放任主義者」と言う場合、彼が道徳哲学者であったことが見落とされがちなのです。
国境を越えるアダム・スミス
彼の著作は、出版後、国境を越えヨーロッパ各地で読まれました。『道徳感情論』は1759年の出版ですから、スミスはまず経済学者ではなく道徳哲学者としてデビューしたのです。『国富論』が出版され、諸外国で読まれ始めるのは20年近くも後になってからです。『道徳感情論』で扱われる内容は多岐にわたり、「流行」「慣習」「美」といった題材も含まれています。したがってそれは、人文学領域においても多くの関心を集めました。文学史に登場するような人々も、実はアダム・スミスをよく読んでいたのです。
翻訳にみる思想
スミスの著作のみならず、翻訳により国境や時代をこえた作品は数多くあり、例として当時のドイツ語圏にも多くがもたらされました。とはいえ、そうした思想交流の重要な局面は、得てしてドイツ観念論などの巨大な哲学者の功績の陰に隠れてしまいます。翻訳は単調な言葉の置き換えではなく、特に思想的書物の場合には、想像と解釈の連続です。翻訳もまたひとつの「思想的作品」であって、どう読まれるかは、どう訳されるかにかかっていると言えるでしょう。大きな影響力を誇る1冊の向こう側には、星空のように広がる作品群がある。そこには見逃してはならない6等星もあるのです。
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愛知学院大学 経済学部 経済学科 教授 大塚 雄太 先生
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