大名も楽じゃない!? 江戸時代における結婚のリアル
江戸にひろがる大名コミュニティ
江戸時代の大名が参勤交代により領地と江戸を行き来する一方、妻は江戸に一生とどまります。大名の半分と妻が勢ぞろいする江戸には、必然的に大名や妻たちによるコミュニティができあがりました。何か失礼があればすぐ噂が広まり、将軍の耳に入れば「家」の格式(ランク)を落とされたり、場合によっては「家」が取りつぶされる可能性もゼロではありません。これは後世に「家」を引き継ぐことが重要だった江戸時代では一大事であり、特に大名が領地に戻っている間は、妻がコミュニティ内でどう立ち回るかが大切でした。
恐妻家を生む格差婚
結婚後も妻とその実家のつながりは深く、大大名から小大名に嫁ぐ場合は、妻の生活費をすべて実家が負担することも珍しくありませんでした。このような場合には、実家の力を背景に妻の発言力は強くなります。また、将軍家の娘が大名に嫁ぐとなると、夫が妻の家来のような関係になることもあります。例えば江戸時代初期、萩藩(現在の山口県)毛利秀就に将軍家の養女喜佐姫が嫁ぎました。関ヶ原の戦いで徳川家と敵対した直後ということもあり、秀就の父・輝元は息子に対し、妻を主君のように大事にせよと訓戒しています。嫁いできた喜佐姫は、領地にいる夫に「早めに参勤交代を」「病気の親戚にお見舞い状を出して」とこまめに指図をするなど、江戸屋敷の中心として強い影響力を持ちました。
医師を使って身辺調査
将軍や大名の結婚は「家」の都合によって決まるもので、恋愛感情などは基本的にありません。しかし、「あの家に嫁がせて大丈夫だろうか」という親心は働き、相手の「家」の内情調査を行うこともありました。主な情報の仕入れ先は、出入りの商人や医師といった人たちです。相手の「家」の財政状況や家族構成にいたるまで、娘が不自由はしないか、姑とうまくやっていけそうかなどが念入りに調べられました。往診の際に医師は「内部のことを漏らさないように」といった念書を書かされるのが通例ですが、拘束力はあまり強くなかったようです。
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山口大学 人文学部 人文学科 歴史学コース 准教授 石田 俊 先生
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