講義No.11719 社会学

日本のイタリア料理産業はどのようにしてつくりあげられたのか

日本のイタリア料理産業はどのようにしてつくりあげられたのか

日本のイタリア料理店

日本のイタリア料理店はなぜ量と質においてこれほど卓越しているのでしょうか。1970年代までは日本人にとってはイタリア料理はまったく馴染みがないものでした。現在では、レストランばかりではなくコンビニやレトルト食品でも実に美味しいイタリア料理を味わうことができます。このことから80年代の半ばから90年代にかけてのイタリア料理ブームを支えた人材はどのようにして育成されたのかをインタビューや資料の分析によってあきらかにしようとしてきました。

日本独自の修業システム

日本では、料理人以外の人々が、イタリアとの文化交流のために、料理人をイタリアで学ばせる教育プログラムを作りあげてきました。また、早くにイタリアで料理を学んだ人々が日本でイタリア料理店を開業し、自分たちも同様に後輩たちをイタリアに送り出していったのです。これは、日本人の料理人を受け入れたイタリア側にもメリットがありました。熱心で技術の高い日本人を、一時的な労働者として安い賃金で雇うことができたからです。そして、地域色豊かなイタリア料理の真髄を学ぶために、多くの若者がイタリアに渡り各地を転々としながら「修業」をすることが、この業界ではキャリアアップのために不可欠な過程になっていったのです。

食を支える仕事についての社会学

新しい仕事の世界は社会の中で長い時間をかけて作り上げられていくものです。また、イタリア料理店が増えていくためには、そこで働く人々、ワインや食材を納入する業者が不可欠です。そうした仕事に従事する人たちの、技術を磨くための機会やシステム、同じ産業を盛り上げようとする人々のネットワーク、そしてイタリア料理を愛し日本に伝えるために努力をしようとする人々のこだわりやアイデンティティなくしては、日本のイタリア料理は成立しえなかったのです。

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先生情報 / 大学情報

大正大学 人間学部 人間科学科 教授 澤口 恵一 先生

大正大学 人間学部 人間科学科 教授 澤口 恵一 先生

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社会学、人間科学

先生が目指すSDGs

メッセージ

自分の生まれ育った環境とは全く違ったところで生きてきた人たちの話を聞くことは、社会学をめざす人以外でも、非常に大きな財産になります。社会学的な言葉を使って言うと、「他者」を知ることです。これを一番簡単にするためには、とにかく自分のいる場所から飛び出して、旅したり留学をしたりすることが大切だと思います。
私自身も大学3年生の時にシドニーでホームステイをしたのが、とても大きな経験になりました。若いうちに、さまざまなところを旅して、たくさんの人と話してください。

先生への質問

  • 先生の学問へのきっかけは?
  • 先輩たちはどんな仕事に携わっているの?

大正大学に関心を持ったあなたは

大正大学は大正15(1926)年に設立された、2026年に100周年を迎える伝統のある大学です。6学部10学科の学問分野で文学や心理、歴史、メディアなど、多彩な学びを展開し、地域社会に貢献できる人材を目指します。キャンパスは東京都豊島区にあり、池袋・巣鴨からもアクセスしやすい立地です。全学部が4年間を同じキャンパスで過ごします。また、1学年約1200名の学生に対し、教員は154名。教員1人あたりの1学年の学生数が7.8名と、教員との距離が非常に近いことも特徴です。