異性への関心や性的なことへの認識にも、「個人差」があって当然
思春期には、必ず恋愛しなければならないの?
高校生くらいの年代になると、異性との恋愛や性的なことへの関心が高まってくると、世間一般では言われています。しかし、同年代の人たち全員が、「全く同じ」と言い切れるでしょうか。異性に全く関心がわかず、同性と過ごす方が好きな人もいるでしょう。自分自身の性別について、疑問や葛藤を抱えている人もいるかもしれません。社会学の研究対象として「性」を取り上げる場合、多数派ばかりでなく、少数派の人々の価値観や社会との関わりについても考えることが重要なのです。
「少数派=変わった人」は、誤った認識
世間で「普通」と言われている「性のあり方」を、受け入れられない「セクシャル・マイノリティ」が、いつの時代、どこの国にも存在します。それはLおよびG(男女それぞれの同性愛)、B(両性愛)、T(性同一性障がい〈性的違和〉など)、I(男女どちらとも判別できない「性分化疾患」)などに大きくわけられ、このうちLおよびGは、さまざまな研究により人口の2~10%程度はいるとも推測されています。また、性同一性障がいと診断されたら(いくつかの条件はありますが)戸籍上の性別を訂正・変更できる法律が、日本を含む多くの先進国で整備されています。「少数派=変わった人」と考えるのは間違っているのです。
「性」についても「個性」があって当然
『眠れる森の美女』などを作曲したチャイコフスキーは、さまざまな研究から同性愛者だったとも考えられています。また、明治時代の文豪である森鴎外は、自身の同性愛体験について書いた『ヰタ・セクスアリス』という作品を発表しています。もしかすると、セクシャルマイノリティとしての感性が、類い希なる作品を生み出す原動力だったのかもしれません。
身長が高い人と低い人、痩せ型の人と太めの人など、いろいろな人が共存して社会が形成されているように「性」についても、一人ひとりに異なるあり方があって当然だと言えるでしょう。
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