江戸時代、飢饉から再起するため温泉住民が行った取り組みとは?
旅行が一般的になった江戸時代(近世)
あなたは旅行が好きですか。今、多くの人が当たり前のように旅行を楽しんでいますが、日本で旅行が一般的になったのは江戸時代からです。武士から一般庶民まで、幅広い階層の人が旅行に出かけられるようになりました。戦国時代が終わって平和な時代が到来したこと、陸上交通路の五街道や宿場が整備されたこと、経済状況が安定し、庶民生活が向上したことなどがその背景にあります。
旅行の主な目的地には、温泉がありました。温泉は現代のようなレジャーではなく、長期滞在して病気やケガを治療するために利用されていました。
飢饉からの復興に温泉の収益を活用
江戸時代は旅行の時代である一方、災害の時代でもありました。特に、たび重なる飢饉は社会に深刻なダメージを与えましたが、疲弊した地域を再生するため、温泉の住民は一計を案じます。秋保温泉のある湯元村(現宮城県仙台市)では、天明飢饉によって人口が減少した18世紀末、湯守(温泉管理人)の入湯料収入を村に配分し、地域振興に充てました。村の本百姓を増やし、宿屋を新設するために温泉の収益が活用されたのです。従来の農業と林業に加え、温泉が村の産業として拡充していきます。
これを機に、湯元村は次第に「温泉の村」として歩んでいくことになります。
現代と重なる災害と観光の関係
今日、秋保温泉は年間100万人以上が訪れる一大観光スポットになっていますが、その原点は天明飢饉後に実現した温泉収益の村への配分にありました。秋保の観光地化は飢饉からの復興事業としてスタートしたのです。疲弊した地域を観光業で立て直そうとする動きは、東日本大震災後の復興ツーリズムやコロナ禍のgo toキャンペーンに通じるところがあります。
一方で、観光は災害の影響をまともに受ける産業でもあります。農業・林業・温泉業というように、地域の産業を多角化させた湯元村の対応は、災害に強い地域づくりの一例とも言えるでしょう。過去の史料から現代への教訓が見いだせるところに、歴史研究の価値があります。
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先生情報 / 大学情報
宮城学院女子大学 学芸学部 人間文化学科 教授 高橋 陽一 先生
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