ロシア帝国からソビエト連邦へ 対イラン外交政策はどう変化したか
イランへの関与の変化
1917年、ロシア革命によりロシア帝国が崩壊してソビエト政権が誕生しました。社会主義政権に変わることで外交政策も当然変わり、隣国イランとの関係も変化します。ロシア帝国はイランの北側を勢力圏としており、何か問題が起こった場合にはロシア政府が簡単に関与できるようになっていました。しかしソビエト政権は「帝国主義の放棄」をうたってきており、イランへの関与を弱めます。
改善されない両国関係
ソ連の関与が弱まっても、両国の関係は良好なものになりませんでした。その原因は二つあり、一つ目は両国が近代化の道を進んだことへの反動です。国境線を整備するようになると、イラン東部では国境を越えて勝手に行き来する遊牧民の問題が、また西部では、ロシア領域内で暮らしていたイラン系住民の大量帰国などの問題が生じたのです。二つ目は、ソビエト政権は「帝国主義を放棄して抑圧されたイランの民衆を助ける」とうたっているはずが、実際はロシア帝国時代の外交政策を踏襲している部分があったことです。その一例がカスピ海の「キャビア利権」です。
キャビアと安全保障
ロシア革命前、両国が面するカスピ海にはロシアの軍艦しか置くことができず、イラン側の港もロシアの軍港のようになっていました。ソビエト時代に入るとソ連が少しずつ譲っていきましたが、カスピ海の権益は守り続けたいのが本音です。そこで登場するのが、キャビア生産のためにカスピ海南部に生息するチョウザメを獲る利権です。これに対するコントロールをソ連政府が持ち続けることで、チョウザメの積出港をソ連の影響下に置き続けました。キャビア利権が安全保障上とても重要なものになっていったのです。
このような歴史的背景を知っていると、現在のマスメディアではロシアとイランが蜜月関係にあるかのように語られますが、そうした論調からやや距離を置いた見方になります。現代の国際政治は1世紀前から連続的に変わってきていますから、近代史を知ることで、現代世界の事件に対して冷静な見方ができるのです。
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