講義No.12281 日本文学

日本語・日本文学としての「漢文学」

日本語・日本文学としての「漢文学」

基礎的教養としての漢文学

日本人は古代から中国の文字と言語、すなわち「漢文」を使って物事を書き記してきました。たとえば、『万葉集』の歌は漢字を利用した万葉仮名で記され、漢文の序文等も収められています。平安時代も、漢詩文は必須の教養でしたし、和歌や『源氏物語』にも中国文学の影響は色濃く見られます。中世の漢文学は、主に禅宗の僧侶たちによって担われ、江戸時代に入ると、儒者たちが、より広い範囲で漢文学を普及させます。脈々と続く漢文的教養の流れは、控えめに見ても明治30年代あたりまでは確かに受け継がれていました。漢文学は、日本の言語・文化・歴史を語る上で、決して無視することのできない基礎的な教養なのです。

漢文的教養の広がり―『枕中記』の場合―

唐代の小説『枕中記』は次のようなお話しです。「立身出世を望む青年・盧生が、道士・呂翁に借りた枕で眠り、栄華を極めて亡くなるまでの一生を夢見る。しかし、それは、眠る前に炊き始めた黄粱がまだできあがらない、短い間のことであった。盧生は、人生のはかなさを悟った。」この物語は、日本に伝えられ、『太平記』に引用され、そこから能「邯鄲」が生まれます。江戸時代には大衆向けの絵入り娯楽本である黄表紙の元ネタとなりました。さらに芥川龍之介も、『枕中記』を元に『黄粱夢』という小説を書きました。このように、漢文的教養は、時代やジャンルを超えて、広く、また深く日本文化の中に浸透しているのです。

江戸時代、幕末・明治期の漢文学

江戸後期から幕末・明治期の時代では、地域・階層を問わず、漢詩文を読み、作ることは広く流行していました。己の心情や思想など、何事かを真剣に表現しようとするとき、漢詩文は有効な表現手段であり得たのです。それらの詩文を通じて、江戸後期の人々の生活や感情、幕末の志士たちの悲憤慷慨、あるいは歴史に埋もれてしまった敗者たちの声など、政治・経済・制度といった視点からは見えてこない、生き生きとした立体的な時代像が浮かび上がってくるはずです。

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上智大学 文学部 国文学科 教授 福井 辰彦 先生

上智大学 文学部 国文学科 教授 福井 辰彦 先生

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日本漢文学

メッセージ

とにかくたくさん本を読んで下さい。文学に限らず、哲学、歴史、科学等々、手当たり次第乱読して欲しいと思います。何から手を付けていいかわからないなら、教科書に掲載されている作家の作品を読んでみましょう。例えば中島敦は『山月記』で有名ですが、他の作品からは、ユーモラスなものあり、私小説風のものあり、まったく違った印象を受けるはずです。
「難しい」「合わない」と感じたら、また他の本を探せばよろしい。読書とはそういうものでしょう。もし気に入った本や作家に出会えたなら、それは一生の宝物になるはずです。

先生への質問

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上智大学に関心を持ったあなたは

日本初のカトリック大学として開学し、創立当初から国際性豊かな大学として、外国語教育に重点を置いてきました。留学制度も充実しており、世界約80ヶ国に390校以上にも及ぶ交換留学・学術交流協定校があり、コロナ禍の2020年度、2021年度を除き、毎年約1,000人の学生が世界の様々な国や地域へ留学しています。また、少人数教育も本学の伝統のひとつです。教員と学生の距離が近く、また学生同士が率直に意見を交し合う、きわめて理想的な教育環境が整っています。他者を思いやり、社会に奉仕できる人材を育成します。