日本語・日本文学としての「漢文学」
基礎的教養としての漢文学
日本人は古代から中国の文字と言語、すなわち「漢文」を使って物事を書き記してきました。たとえば、『万葉集』の歌は漢字を利用した万葉仮名で記され、漢文の序文等も収められています。平安時代も、漢詩文は必須の教養でしたし、和歌や『源氏物語』にも中国文学の影響は色濃く見られます。中世の漢文学は、主に禅宗の僧侶たちによって担われ、江戸時代に入ると、儒者たちが、より広い範囲で漢文学を普及させます。脈々と続く漢文的教養の流れは、控えめに見ても明治30年代あたりまでは確かに受け継がれていました。漢文学は、日本の言語・文化・歴史を語る上で、決して無視することのできない基礎的な教養なのです。
漢文的教養の広がり―『枕中記』の場合―
唐代の小説『枕中記』は次のようなお話しです。「立身出世を望む青年・盧生が、道士・呂翁に借りた枕で眠り、栄華を極めて亡くなるまでの一生を夢見る。しかし、それは、眠る前に炊き始めた黄粱がまだできあがらない、短い間のことであった。盧生は、人生のはかなさを悟った。」この物語は、日本に伝えられ、『太平記』に引用され、そこから能「邯鄲」が生まれます。江戸時代には大衆向けの絵入り娯楽本である黄表紙の元ネタとなりました。さらに芥川龍之介も、『枕中記』を元に『黄粱夢』という小説を書きました。このように、漢文的教養は、時代やジャンルを超えて、広く、また深く日本文化の中に浸透しているのです。
江戸時代、幕末・明治期の漢文学
江戸後期から幕末・明治期の時代では、地域・階層を問わず、漢詩文を読み、作ることは広く流行していました。己の心情や思想など、何事かを真剣に表現しようとするとき、漢詩文は有効な表現手段であり得たのです。それらの詩文を通じて、江戸後期の人々の生活や感情、幕末の志士たちの悲憤慷慨、あるいは歴史に埋もれてしまった敗者たちの声など、政治・経済・制度といった視点からは見えてこない、生き生きとした立体的な時代像が浮かび上がってくるはずです。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。
先生情報 / 大学情報
上智大学 文学部 国文学科 教授 福井 辰彦 先生
興味が湧いてきたら、この学問がオススメ!
日本漢文学先生への質問
- 先生の学問へのきっかけは?
- 先輩たちはどんな仕事に携わっているの?