「風土記」には何が書かれていたのか

「風土記」には何が書かれていたのか

風土記は昔の行政文書

「風土記(ふどき)」は奈良時代に編纂(さん)された地理書です。713年に朝廷が、当時存在した約60カ国に命じ、次の5項目について報告させました。1つ目はふさわしい字をつけた地名。2つ目は土地の産物や動植物、鉱物。3つ目は土地の肥沃度。4つ目は地名の由来。5つ目は地域の伝説や変わった出来事です。報告書は各国の役所で少なくとも2部作成され、1部は朝廷に提出、朝廷は徴税の参考としました。もう1部は各国に保存され、中央(大和)から赴任した役人が、その国を知るための参考資料として使われたと推測されています。

5カ国分しか現存しない

当時の日本、約60カ国のうち、現在まとまった形で残る風土記は、常陸・播磨・出雲・肥前・豊後だけです。このうち出雲はほぼ完全な形で、ほか4カ国は部分的に残っている状態です。それ以外の国の風土記は、さまざまな書物に一部分が引用されていることから、その存在が推測されます。これを「風土記逸文」と呼び、現在は約30カ国が確認されています。

草薙の剣の伝説

『尾張国風土記』逸文には、熱田神宮(現・愛知県名古屋市)についての伝説が書かれています。ヤマトタケルノミコトは東の国に遠征した帰りに尾張のミヤズヒメの家に泊まります。ヤマトタケルは夜に厠(かわや)に入る際に、剣を庭の桑の木に立て掛け、用を足すとそのまま寝室に戻ってしまいます。忘れ物に気付き慌てて戻ると、剣は神々しく光り輝き取ることができません。そのため家を旅立つ際、剣を自分だと思って大切に祀(まつ)るように、とミヤズヒメに預けます。それが「草薙(くさなぎ)の剣」として熱田神宮に祀られている、というものです。『古事記』『日本書紀』では英雄的に扱われるヤマトタケルですが、伝説とはいえ人間臭い面が描かれています。
このように風土記は、古い行政文書という史料的な面はもちろん、文学、歴史、宗教、民俗学からも興味深い記述にあふれているのです。

※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。

※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。

先生情報 / 大学情報

千葉大学 文学部 人文学科 日本・ユーラシア文化コース 准教授 兼岡 理恵 先生

千葉大学 文学部 人文学科 日本・ユーラシア文化コース 准教授 兼岡 理恵 先生

興味が湧いてきたら、この学問がオススメ!

日本文学、日本史学、考古学

先生が目指すSDGs

メッセージ

今はスマートフォンやPCの映像・情報のみで、実際に体験することが少なくなっているように思います。しかし、自分の目で見、音を聞き、鼻で嗅(か)ぎ、肌で感じる―「五感」は非常に大切です。
本を選ぶ時もネットで探すだけではなく、書店や図書館で実際に手に取ることをお勧めします。探していた本の隣のものが、新たな世界を拡げてくれるかもしれません。

先生への質問

  • 先生の学問へのきっかけは?
  • 先輩たちはどんな仕事に携わっているの?

千葉大学に関心を持ったあなたは

千葉大学は、他大学にないユニークな学部を含む全11学部を擁する総合大学です。学際的文理融合の精神のもとに、教育研究の高度化、産官学の連携推進、国際交流の拡充を進めています。近隣には放送大学、国立歴史民族博物館などがあり、各分野で共同研究が行われています。「つねに、より高きものをめざして」の理念のもと、世界を先導する創造的な教育・研究活動を通しての社会貢献を使命とし、生命のいっそうの輝きをめざす未来志向型大学として、たゆみない挑戦を続けます。