漢詩から生まれた和歌―平安時代の試み―
和歌の奥深さ―漢詩と和歌がドッキング?!
古典の授業で和歌に出会った際、現代語に訳すことに注力していませんか。作者自身や和歌を載せる歌集、和歌が詠まれた背景などもあわせて考えると、和歌文学の魅力を一層感じることができます。
平安時代の初め、公的な文学は漢詩文でしたが、やがて和歌に変化していきました。800年代末ごろ、漢詩の一節から和歌を詠む句題和歌と呼ばれる新しい試みをしたのが大江千里(おおえのちさと)です。漢詩句を和歌に翻案することは、時代の色を映した試みでした。
『大江千里集』の漢詩句をもとに作られた和歌115首の中には『源氏物語』に登場する女性が口ずさんだ「朧月夜に似るものぞなき」という句に類似した表現を含む1首があります。『源氏物語』読者の中には、この句から元になった『白氏文集』の「不明不暗朧々月」という漢詩句を思い浮かべた人もいたことでしょう。
和歌作者の姿
さて、この句題和歌の発案者、大江千里はどのような人なのでしょう。
生活詠を多く収める『後撰和歌集』(950年ごろ成立)の詞書には千里の恋愛エピソードが記されており、ここから当時語られていた千里像が浮かびます。作者の姿は歴史的事実だけでなく歌集から探ることもできるのです。
受け継がれる和と漢の融合
千里以後、和歌と漢詩を融合する営み、句題和歌という手法は受け継がれました。例えば鎌倉時代初期の「文集百首」という作品があります。これは慈円が『白氏文集』から漢詩句を取り出し、藤原定家も同じ句で和歌を詠んだものです。この中には千里が選んだものと同じ漢詩句も含まれています。「文集百首」は『大江千里集』の約300年後に詠まれましたが、「この漢詩を和歌にしたらおもしろそう」という感覚は、時代を経ても不変であったと考えられます。しかし各人の和歌の詠みぶりは異なり、同じ漢詩句に対する理解と詠法とは時代の特色や個性によるものでもありました。
和歌文学を研究することは、日本人の普遍的な美意識や関心のありか、日本の文化を考えることにつながっています。
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先生情報 / 大学情報
神戸女学院大学 文学部 総合文化学科 教授 藏中 さやか 先生
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