メディアとしての万博が受け継ぐもの
万博は、それ自体がメディア
万国博覧会(万博)の歴史は、メディアとしての万博の変遷でもあります。史上初の万博は1851年にロンドンで開催されました。以降不定期に開催され、日本政府(明治新政府)が参加したのは1873年のウィーン万博からです。万博はオリンピックとよく比較されます。オリンピックでは、テレビやラジオ、インターネットなどのメディアによって選手や背景のストーリーが発信されます。一方、万博はそれ自体がメディアであり、開催国や世界各国の人達が集い交流するところに大きな意義があります。日本での開催は1970年、大阪で開かれた日本万国博覧会が最初で、アジア圏初でもありました。
流れを変えたブリュッセル万博
1958年にベルギーで開催されたブリュッセル万博は第二次世界大戦後、最初の万博です。それまでの万博は国威発揚、貿易振興などが目的でしたが、ここではテーマを「科学文明とヒューマニズム」とし、その後の万博に「人間性を重視する」という大きな変化をもたらしました。戦後の経済成長期にあって、ブリュッセル万博は、戦争の歴史や核の脅威、公害問題などによって人間性の喪失が進む社会への新しいメッセージを表現しました。事務総長だったヴェルプは、万博を世界や社会のあり方を議論するコミュニケーションの場として提案したのです。ただし、中には差別的な展示もありました。当時ベルギーの植民地だったコンゴの人々を、現地の村を再現した空間で展示したのです。
知られざる「万国博を考える会」の活躍
大阪の1970年万博では、開催が決定した1965年の前年に、関西の知識人有志による非公式な研究会が発足しました。主な会員は、後に『日本沈没』を書いたSF作家の小松左京、文化人類学の草分けである梅棹忠夫、社会学者の加藤秀俊といった、そうそうたるメンバーでした。熱心に遊んだともいえる準備活動は万博の基本理念に姿を変え、本番に生かされました。2025年の大阪・関西万博にもまた、ブリュッセル以来の先人たちの考え方が受け継がれています。
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先生情報 / 大学情報
大阪国際大学 国際教養学部 国際観光学科 准教授 五月女 賢司 先生
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先生への質問
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