俳句を読み、考えることで見えてくる「モノの見方」
「俳句」の誕生
じつは、「俳句」という言葉ができたのは明治時代です。それまでは俳諧連歌というより長い形式の文芸であり、その冒頭の「五・七・五」が独立性を強めたのが俳句です。さらにいうと、現代の俳句の基礎ができたのは、1920~30年頃です。アメリカではディズニーが、ヨーロッパではシュルレアリスムが生まれ、日本でも震災後に交通網が整備され、自動車が普及し始めるなど、文化や生活が激変した時代。小説と同様に、その影響を受けた俳句にもさまざまな筋道や可能性が議論された末、その後に続く現代俳句の見取り図が確立されました。
「写生」がつくる現代俳句の基礎
俳句には抒情的な句や「五・七・五」に縛られない非定型の句など、さまざまなタイプがありますが、現代俳句の基礎のひとつに「写生」があります。写生は、正岡子規が19世紀末に理論的に注目した考え方で、小説や日記、新聞記事と同じく、事実や情景を淡々と書き、そこから読み手に共感させる手法です。子規が注目した与謝蕪村を例にとりましょう。「春の海 ひねもすのたり のたりかな」には、「春の海があり、一日中ゆったりとのどかである」ということしか書かれていません。前提となる文脈や文学的知識がなくても創作・共感できるため、俳句は写生によって一般大衆にも親しまれる文芸になったのです。
俳句=モノの見方
また、俳句は書き手だけでなく、読み手の想像力によって補われる文芸でもあります。そのため、ある俳句について研究するには、その作品がどのようにつくられ、その後どんな人たちが、どのように読み、語ってきたのかを知ることも重要です。こうした作業を通して見えてくるのは、俳句とは「モノの見方そのもの」であるということです。俳句をどのように読むかが「今」を映し出すと同時に、自分が無意識に前提としている「今」のモノの見方を炙り出してくれるのです。しかも、短時間で多くの作品に触れられるという意味で、「モノの見方を問う」ことの本質により近づきやすい点も、俳句のもつ重要な特性なのです。
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