ブラジル日系文化に見る「汽水域」の文学
日本文学も海を渡る
1900年代前半から1970年代に至るまで、日本からブラジルへ約20万人が移民しました。現在のブラジルにはおよそ200万の日系人がいます。移民最盛期の現地では大きな日本人コミュニティが形成され、最大7紙もの日本語新聞が発行されました。その文芸欄には、日本語で書かれた小説や短歌、俳句などが掲載されており、日本の文学も海を渡り現地で根付いたことがわかります。
「汽水域」の文学
現在のブラジルでも短歌や俳句を楽しむグループがあり、日本語だけでなくポルトガル語でも短歌や俳句が作られています。季語は日本古来のものだけでなく、ブラジルの気候に根差したポルトガル語の季語が新たに作り出されるなどの進化が見られます。このような、ブラジルの日系人が作り出す日本文学は、いわば河口付近で日本(語)の淡水とブラジル(ポルトガル語)の海水が混じり合う「汽水域」の文学といえます。
近年、日系三世の中里オスカルは、日系人がたどった道筋をポルトガル語で書いた小説『NIHONJIN』でブラジルの文学賞を受賞しました。ブラジル以外でも、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロは生まれ故郷の長崎についての小説を英語で執筆、ドイツ在住の多和田葉子はドイツ語と日本語の2つの言語で、日本で育った台湾人である温又柔(おんゆうじゅう)は日本語で創作活動を行っています。人の移動にともなって文学は国境を越えます。そして言葉の壁も乗り越えていくのです。
日本文学がどう変化していくか
グローバル化が進めば、外国で生じた「汽水域」の文学は、いずれその国の言葉に溶け込み、その地の文化を豊かにすることでしょう。現在の日本にはかつてブラジルに渡ったのと同じくらいの約20万人のブラジル人が居住しています。日本にルーツを持つ人や、まったく日本文化を知らなかった人など、彼らのバックグラウンドはさまざまですが、そこにも新たな「汽水域」の文学が生まれ、この地の文化を豊かにしてくれるかもしれません。
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金沢大学 人間社会学域 人文学類 教授 杉山 欣也 先生
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