増殖する「れれる言葉」─「見れれる」「来れれる」という言い方─
共通語と方言とが混同され「ら抜き言葉」に
「見られる」を「見れる」、「来られる」を「来れる」というような「ら抜き言葉」が一般化しつつあります。東京語の前身である江戸時代の話し言葉(江戸語)には「ら抜き言葉」はありません。東京語を元とする現代の共通語は江戸語の後身に当たるわけですから、「ら」を抜くのは正しくないと言えます。ら抜き言葉が東京語に広まったのは、1923年(大正12年)の関東大震災以降のことです。震災後の東京の復興のため、地方から多くの労働力が入りました。地方には「ら抜き言葉」のように聞こえる方言が多く、その影響で東京語でも「ら抜き言葉」が使われるようになったと考えられています。
「ら抜き言葉」から「れれる言葉」へ
2000年代に入ってからさらに変化が進み、「見れれる」「来れれる」という「れれる言葉」の使用がネット上で増えています。入力ミスにしてはあまりにも数が多く、国会会議録といった公的文書にも散見されることから、規範的な共通語使用という観点からは看過できない表現です。方言使用の影響が考えられますが、「れれる言葉」は共通語としては明らかな誤用です。「ら抜き言葉」を使ううちに、表現が不足しているような感覚で、さらに「れる」を文末に付け足して「見れれる」「来れれる」という使い方をしてしまうのです。
「れれる言葉」は受身の意味も表す
日本語研究者の一部には「『れる・られる』が自発・受身・可能・尊敬の四つの意味を表すのは無理がある、『ら抜き言葉』は可能の意味だけを表すから、むしろ良い変化だ」という意見があります。しかし、実際には、「ら抜き言葉」が進行した「れれる言葉」には、「彼氏に振れれる」「いじめれれる子ども」のような受身の意味や、「悩まれれている方」のように尊敬の意味が発生しています。ですから、「ら抜き言葉」を擁護する人たちの意見の根拠はもはや崩壊しました。いま、日本社会と日本語の中で起きている重大な変化と、私たちはどのような姿勢で向き合うのかということが問われているのです。
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東京都立大学 人文社会学部 人間社会学科 日本語教育学教室 教授 浅川 哲也 先生
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