「呪い」とは何か:アフリカの事例から

日常的な呪い
ある晩ナイジェリアの友人の家で火事騒ぎがありました。子どもがマットレスにろうそくを落とし火が燃え移ったのです。幸い大事に至らずに済みましたが、彼は「元妻の呪いだ」と断言しました。ろうそくが、よりによって燃えやすいマットレスに落ちたこと、前日に火事を予知する夢を見ていたことが、彼に呪いの介入を確信させたのでしょう。
もう一つ、ある男性が車を運転していたときのことです。突然外で悲鳴が聞こえたので、彼はブレーキを踏みます。ところが車はすぐに止まらず、何かに当たって止まりました。降りてみると車の下に子どもが横たわっていました。やはり彼も事故の原因を呪いに求めました。理由として、彼は突然ブレーキが効かなくなったこと、子どもが道路の中央にいたことが「あまりにも奇妙だ」というのです。
なぜ呪いなのか?
これらの事例には、呪いを思わざるをえない不思議さがあったようです。アフリカにおいて、不思議さと呪いは密接に関わっています。不思議さは、当たり前でない、そうある必然性のない偶然的状況に由来します。説明がつかないから不思議なのですが、不思議であればこそ説明を求めるのは人の性といえるでしょう。このときアフリカの人々が典型的に持ち出すのが呪術です。これによって不思議な出来事は、呪いなら当然起こってもおかしくないことに転化する、つまり呪術的必然性を獲得するのです。
不思議な世界はすぐ隣に
偶然性は実は私たちの日常にあふれています。例えば「出会い」はその一つかもしれません。友人、恋人、あるいは趣味を持つようになるきっかけは、多くの場合、偶々それらと出会ったことにあるのではないでしょうか。さらに私たちが日常下す判断の多くは、成否を運に委ねる、小さな賭けともいえるのものです。これらの出会いや賭けが不幸な結果を招いたとき、私たちもまた「厄年に当たっている」「罰が当たった」など何らかの神秘的な力や存在を思いかねません。このとき私たちはアフリカの人々と同じ地平に立っているのではないでしょうか。
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