「あいうえお」より「イ・エ・ス・シ」? 国語教育の意外な歴史
国語科の歴史
国語科は、小学校から高校まで10年以上付き合う教科ですが、その歴史はあまり知られていません。例えば学校教育が制度化された明治初期は、毛筆や和紙、石盤・石筆を使って文字を書きましたが、明治後期以降に鉛筆や帳面が普及したことにより、書き取りや作文といった現在にも見られる学び方が一般化しました。これは近年、1人に1台タブレットが配付されて、学習内容が変化していることと同様のプロセスといえます。また、『走れメロス』や『羅生門』といったなじみのある定番教材も、はじめは新教材として教科書に採用されましたが、採録される本文の範囲や「学習の手引き」の設問なども、さまざまな変化を経て現在に至っています。
「イ・エ・ス・シ」
明治期に作られた第一期の国定教科書では、始めに「あいうえお」や「いろはにほへと」ではなく、「イ・エ・ス・シ」が出てきます。この目的は、発音、訛りの矯正にありました。当時の日本は地方によって言葉に大きな差異があり、中には「イ」と「エ」、「ス」と「シ」の発音が曖昧な地方もありました。日本が近代国家として発展するためにはこうした言葉の壁を排して、全国で通用する「標準語」を作ろうという当時の時代背景が教科書にも反映されているのです。ほかにも、戦後のある時期には「教科書を使って言葉の力をつける」という方針のもと、「文学編」と「言語編」という性格の異なる2つの教科書が使われていたこともあります。
国語科のウチとソト
近年では「総合的な学習の時間」や「探究の時間」など、教科を横断した学びが重視されるようになり、言葉で考え、言葉でアウトプットする力がより求められるようになりました。こうした力を養う基盤の教科が国語科です。そのため、従来のように「より良い国語科教育」をめざすだけでなく、科目の枠を超えて、ほかの教科との連関や、学校教育全体の中での役割についても考えなければなりません。歴史を学び、それらを材料にしながら未来を見据える姿勢こそが、これからの国語科教育を作っていくのです。
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