謎の僧侶、迦才の教え―浄土のランク松竹梅―
浄土教は救いの仏教
中国仏教では浄土のランク分け、とりわけ阿弥陀仏の極楽浄土の評価をめぐって様々な議論がありました。浄土のランクを仮に松竹梅の三段階としたならば、最高ランクの松なのか、それとも最低ランクの梅なのか、という選定です。たとえば、南北朝の時代の曇鸞(どんらん)という僧侶は、念仏を中心とする修行によって最高ランクの「松の浄土」に往くことができるという教えを説きました。これは、独力の修行のみを頼りとする「悟りの仏教」ではなく、仏のサポートを前提とする「救いの仏教」であったために、民衆の圧倒的な支持を得ました。
浄土に関する新解釈の到来
当時の仏教界は多様な学派が共存しており、弱者を優遇するような浄土教のスタンスに理解を示さない僧侶も数多くいました。そのような状況下で、次第に極楽浄土は「梅の浄土」であるという考え方が一般化していきました。法然や親鸞などの日本浄土教に大きな影響を与えたのは初唐の長安で活躍した善導(ぜんどう)という人物です。その善導は、極楽浄土を過小評価する理解をひっくり返して、まごうことなく「松の浄土」であり、そこへ南無阿弥陀仏の念仏だけで往くことができると強弁しました。ただし、当時の仏教界の常識と大きく異なる考え方だったので、その後、中国の仏教界で主流派になることはありませんでした。
秀才肌の迦才はどう考えた?
一方、善導と同時代に、あまり知られていない迦才(かざい)という学僧がいました。迦才のユニークな考え方は、念仏を唱えるだけでは、松の浄土は難しいにしても、その中間の「竹の浄土」になら往けるのではないかというものです。梅の浄土の考え方を、最新の仏教思想をもとにアップデートすることで、すべての修行者が悟りに辿り着けるように調整を施しました。曇鸞や善導が天才肌の仏教者であったとするならば、迦才は秀才肌で伝記も残らないマイナーな人物ですが、だからこそ他学派の僧侶にも賛同を得られそうなギリギリの落としどころを見つけて、破綻のない思想構造を作り上げたのです。
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