古代の埴輪が証明するスポーツと相撲の歴史
「天覧相撲」は古代から存在した
天皇が観戦する相撲を「天覧相撲」といい、古くは『日本書紀』に天皇の前で相撲がおこなった記述があります。飛鳥・奈良時代には、朝廷に服属した証として地方から集められたつわものたちが相撲を披露しており、今の天覧相撲の先駆けと見られています。しかし、考古学的にはもっと以前から相撲はおこなわれていました。まわしを巻き、がっぷり四つに組む人間を模した埴輪が古墳から出土しているからです。埴輪の配置を見ると、中心となる権力者の前で披露されていたようで、当時から天覧相撲的な意味合いがあった可能性があります。
世界各地で発見されている格闘の一場面
人間が生身の体でぶつかり合うことは最も原始的な格闘であり、世界中どの時代でおこなわれていても不思議ではありません。ロシアやウクライナ、中国や朝鮮半島で、組み合う古代の男たちのレリーフ(浮き彫り細工)や壁画が見つかっています。日本列島でも東北から九州の古墳から、大きな腹部をした埴輪が出土しており、ほぼ全国で相撲が取られていたと考えられます。この格闘がヨーロッパや中央アジアではレスリングとなり、日本では相撲に近いスポーツとなったわけです。競技化された時期も早く、既に奈良時代、聖武天皇の頃には全国から力士が集められ、平城京で大会が開かれていました。
埴輪ブームのピークと終焉
力士の埴輪は、一種のオリジナリティの発露です。初期の埴輪は円筒形で、古墳の囲い代わりでした。それが次第に装飾の要素が強くなり、盾などの器物を象ったり、見栄えのよい人型の埴輪を製造するようになったのです。さらに楽器の演奏者や食事の用意をする人々の埴輪も並べることで、宴会の一場面を模した景色ができあがりました。埴輪の種類は日本最大の古墳である大山古墳(仁徳天皇陵)の頃に出そろい、その後関東地方で大流行します。しかし、徐々に造形が省略され、やがて古墳も埴輪も姿を消します。理由は諸説ありますが、仏教伝来などの影響を受け、いわばひとつのブームが終焉を迎えたといえるでしょう。
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大正大学 文学部 歴史学科 教授 塚田 良道 先生
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