命を食べる私たち
飼育したブタ
映画「ブタがいた教室」の原作にもなった『豚のPちゃんと32人の小学生』という本は、小学校のある学年が命の学習として、食肉にするためにブタを3年間飼育した記録です。当初は1年で処分する計画でしたが、卒業前にまで持ち越され、最後の話し合いでも処分についての意見が分かれたために、最終的には担任の決断により食肉加工場に引き渡されました。
命を食べる行為
「下級生に譲ることの責任を感じるから自分たちで処理すべきだ」という意見に対して、半数の生徒は「かわいそうだから処理したくない」と主張しました。もちろん、処理したくないと言った児童も、決して普段から豚肉を食べないわけではありません。普段の食事では、目に触れない場所で処理されて清潔にパック詰めされた肉を調理して食べることで、生き物の命を奪っているという意識がないのです。一方で、学校のブタには「Pちゃん」という名前を付けて、手塩にかけて育てたことで感情移入しやすい状態になり、命を奪うという感覚が強く感じられたのだと推測できます。
哲学を通して向き合う
私たちが生きるには、食べることは必要不可欠です。また、普段の社会では倫理的に動物を殺してはいけないと言われている一方で、肉を食べるには動物を殺さなければなりません。もしベジタリアンだとしても、次世代を誕生させるために植物が作り出した実や植物の体そのものを食べてしまうというのは、命を奪う行為に違いはないのです。ほかの命を奪ってはいけないと理解しながらも食べるというのは、人間の矛盾した行為です。しかし、私たちは生き続けるために、この矛盾に目をつぶっています。
この矛盾に対して、宮沢賢治は作品『よだかの星』で、ほかの命を奪ってまで生きるべきなのかという問いを提示しました。このような問いに向き合うことは、自分が生きていることを考えるきっかけになるものです。食べるという行為には倫理的な矛盾がつきものであり、哲学では繰り返しこの問いに向き合い、探求しています。
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先生情報 / 大学情報
専修大学 文学部 哲学科 教授 檜垣 立哉 先生
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現代思想、日本哲学先生への質問
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