ただ対話するだけで、人が回復し、つながり、成長するのはなぜか?
「対話」を問い直す
近年、フィンランド発の精神療法で注目を浴びている「オープンダイアローグ」。複数の専門家がチームをつくり、当事者を含む関係者と対話セッションをくりかえすことで、服薬を最低限に抑え、症状緩和を目指す療法です。統合失調症の他、うつ病、PTSDなどにとり入れられています。
また最近は、社会的に「対話」の大切さが見直され、学校やビジネスの場でも盛んに行われています。しかしそのような場では、何かの結論や成果を出す目的でなされることがほとんどです。そこでは相手を変えたり、決定したりするために、相手の話を遮ってまで発言するといった状況がよく起こりますが、こうした一方的な発言は対話(ダイアローグ)とは言えません。
対話による理解が自尊心を育む
「話す」という行為は人の吐く息を使ってなされます。大げさに言えば、言葉とは生命維持に欠かせない呼吸を、ある意味で少し犠牲にしてでも伝えたいものだと言えるでしょう。したがって、もし話を遮られると、自分の意見や気持ちが大切にされないといった傷つきとともに、自分の呼吸=存在が大切にされないというメッセージを無意識の内に受け取ることになります。「対話」では、参加する誰もが「自分は受け止められている」と思える環境づくりが重要です。つまり理解されたという安心感が自尊心を育みます。すると人を恐れず意見を交換できるようになるのです。
人の物語に、思いを巡らせる
人間存在を深く理解するのに、文学作品を読み込むことは大きな手助けになります。例えばドストエフスキーの小説は長大ですが、多くの登場人物が自分の「物語り」を繰り返すばかりで、何が結論かすらわかりません。批評家のミハイル・バフチンはこれをポリフォニー(多声音楽)と呼びました。対話も、人の物語を懐深く受け止め、深く理解する側面があるのです。デンマークの小説家イサク・ディネセンは言います。「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる。」
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