戦後のヨーロッパ統合と経済復興 ジャン・モネの挑戦
ジャン・モネによる戦後ヨーロッパ統合構想
現在、ヨーロッパ諸国はEU(欧州連合)という形で結びついていますが、第二次世界大戦前後にヨーロッパを統合する構想を立てていた人物がいます。その人物の名はジャン・モネ。1888年フランスに生まれたモネは、第一次世界大戦後には国際連盟で重要な地位に就いていました。その頃すでにヨーロッパ統合のコンセプトを考えていたと推測されます。具体的には、第二次世界大戦後、フランス計画庁という戦後の経済復興を図る役所で、経済計画(1947~53年)を作成、実施し、さらには1950年にシューマンプランを作成することで、ヨーロッパ統合をめざしました。
シューマンプランとモネの狙い
2つの世界大戦後、戦争の反省から国家の存在を疑問視する意見がヨーロッパ諸国で出現しました。また台頭するアメリカ、ソ連に対抗するためにヨーロッパを一つの国家にまとめようという超国家的発想が生まれました。
モネが作成したシューマンプランとは、経済面からヨーロッパ統合に着手し、フランスと西ドイツの石炭・鉄鋼業を部門統合するものでした。そこでは共同体の最高機関が石炭・鉄鋼業を共同管理し、独占を規制した自由で公正な市場を作ることを構想しました。こうした両産業の育成策を通じて、ヨーロッパの平和と経済発展を実現することをめざしたのです。さらに、フランス経済復興のためには、ルール地方産石炭の安定調達や、西ドイツ重化学工業復活の脅威への対応、マーシャルプラン後のアメリカによる経済援助継続も目論(もくろん)でいました。
ヨーロッパ統合の後退と再開
シューマンプランは実行されましたが、必ずしもモネの構想が実現したとはいえませんでした。それはアメリカからの経済援助が期待通りに実現しなかったことなどにより、超国家的な国際組織を作り上げることができなかったからです。これらの歴史をふまえて、ヨーロッパを1つの国家にまとめようとする計画が再び動き出すのは、ヨーロッパ経済が危機を迎えた1980年代のことでした。
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