現在の内容とはかなり違っていた中世の『源氏物語』
あれ、こんな話あった?
私たちは現代語訳やマンガ、映画など、いろいろな方法で『源氏物語』に触れることができます。では、昔の人々はどうだったのでしょうか? 鎌倉時代から室町時代にかけての中世において、本は大変貴重で高価なものでしたから、人々は『源氏物語』を簡易な梗概(こうがい:ダイジェスト)書や注釈書、絵画などで楽しんでいました。
当時の解釈やあらすじには、現在の『源氏物語』とはまったく違う部分があることがわかっています。例えば室町時代の梗概書には、「葵」の帖の「車争い」の後に、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が夜ごと鴨川で相手を呪う話があります。呪う場面を詠んだ当時の和歌もあり、広く知られていた話のようです。しかし実際の『源氏物語』に鴨川のシーンはありません。後世の人の手によって書かれた梗概書には、より面白くするためか、私たちが読むと「あれ?」と不思議に思うようなエピソードがしばしば付け加えられていたのです。
二つの場面を一枚に
絵画の例を挙げてみましょう。光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)が、末摘花(すえつむはな)が弾く琴の音を戸外で聴いている絵があります。しかし『源氏物語』では、光源氏は彼女の部屋で琴を聴いていて、家の外に出たところで頭中将と出会います。つまりこの絵は二つの場面を一緒に描いているわけです。これは「異時同図法(いじどうずほう)」という画法で、当時の絵の特徴の一つです。
昔もさまざまな形で読まれていた
江戸時代に国学の研究が始まると、こういった『源氏物語』本文と異なる中世の荒唐無稽な解釈や話は、意味がないナンセンスなものとして切り捨てられ、だんだんと忘れられていきました。しかし現在は、当時の注釈書や梗概書がその後の文学に直接影響を与えたとして価値が見直されており、研究が進んでいます。つまり、それらは今あなたがマンガや映画で『源氏物語』の世界を知るのと同じように、中世の人々もさまざまな形で『源氏物語』を享受していたことを示す史料でもあるのです。
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同志社大学 文学部 国文学科 教授 岩坪 健 先生
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