コムギとヒト1万年の旅

コムギとヒト1万年の旅

ミトコンドリアは母系遺伝

人類の母方の祖先をたどっていくと、ただ一人の女性に行き着きます。アフリカにいた、その女性の名は「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれています。なぜ、そんなことがわかるのでしょうか。それは細胞内のDNAに、その生物の歴史が刻まれているからです。特にミトコンドリアのDNAは母系遺伝し、母親から子どもへと受け継がれていきます。ですから、ミトコンドリアのDNAを調べれば、母親からずっと先の祖先までたどっていけるのです。

ミトコンドリアと葉緑体で調べるコムギの起源

人など動物の母方の祖先をたどる手がかりは、ミトコンドリアのDNAです。一方、コムギなどの植物はミトコンドリアに加えて葉緑体のDNAも母系遺伝することがわかっています。この2つのDNAを詳しく調べていくと、コムギの系譜を正確にたどっていくことができるのです。
人類が最初に栽培化したコムギは染色体の数が28本のエンマーコムギでした。このコムギが誕生したのは今からおよそ1万年前のことです。葉緑体DNAを詳しく調べてみると野生コムギからエンマーコムギが生まれた際、栽培コムギの母親すなわち「葉緑体イブ」はどうやら二人いたことがわかりました。

ヒトと自然が育んだコムギ

このエンマーコムギを含む栽培コムギが誕生したことにより、人類は農業という革新的な生活手段を獲得しました。そしてコムギを栽培する人々が現在のイラン北部のカスピ海南岸部に到達したとき、そこに自生していた野生のタルホコムギ(染色体数は14本)とエンマーコムギが交雑し、偶然にも双方の染色体(42本)をあわせもつパンコムギの仲間が生まれました。このように染色体数が増えると、環境に対する適応力がより高まります。自然が偶然に引き起こしたコムギの「倍数性進化」とヒトが積極的にかかわった「栽培化」がなければ、人がパンを食べることはなかったのかもしれません。コムギを主とした農業が起こらなければ、人類の文明自体も今とはかなり違ったものとなったはずです。

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神戸大学 農学部 生命機能科学科 応⽤機能⽣物学コース 教授 森 直樹 先生

神戸大学 農学部 生命機能科学科 応⽤機能⽣物学コース 教授 森 直樹 先生

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植物遺伝学、育種学

メッセージ

植物の中でも、私たちの日常生活と密接な関わりを持っているのが栽培植物です。日々の食生活は、栽培植物があるからこそ成り立っています。代表的な栽培植物の一つがコムギです。しかし現在のコムギが、最初から存在していたわけではありません。数百万年前に生まれた原生種のコムギが進化し、さらに人の手を加えられて今の姿になったのです。コムギは、人類の長い歴史とロマンを秘めた植物です。もちろん、人類の未来にとっても極めて重要な存在です。コムギのような栽培植物の秘密を遺伝学というカギを使って解き明かしてみませんか。

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