『源氏物語』の読まれ方の歴史をたどる
どちらが正しい?
有名な『源氏物語』の桐壺の巻ですが、その冒頭は次のどちらが正しいでしょうか。
1.いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。
2.いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらねど、すぐれてときめきたまふありけり。
違うのは「あらぬが」と「あらねど」です。正解は1です。2の「あらねど」を選んでしまった人は、おそらく「あらぬが」を「けれども」とまず逆接の意味に誤って記憶してしまい、その上でより逆接らしい表現の「あらねど」を選び取ってしまうという、二重の誤読が生じていると考えられます。ちなみに、『源氏物語』の中に「にはあらぬが」という文字列はここしかないのに対し、「にはあらねど」は40例を数えます。そのようなことも誤読の一因でしょう。
『今鏡』も「あらねど」
こうした記憶違いは古くからあります。例えば、『今鏡』という平安時代後期の作品は『源氏物語』の影響が非常に強いのですが、そこに「いとやむごとなき際にはあらねど……」という一節が出てきます。『源氏物語』を意識していると思われる箇所ですが、おそらく『今鏡』の作者は『源氏物語』を座右に置いて参照したのではなく、記憶にたよって記したのでしょう。『源氏物語』成立から200年足らずでこのような記憶違いが起きているのです。古典の本文というものはこのように移ろいやすいものでもあるのです。
読み間違いの歴史
『源氏物語』のような古典はこのように千年の間にさまざまな読まれ方をします。その中には多くの誤読も含まれますが、古典の研究では単に間違いと切り捨てるのではなく、読まれた歴史の1ページという見方をすることも必要です。「受容史」、「享受史」、時には「誤読史」という言い方もできるかもしれません。われわれが古典を「正しく」読むことはもちろん重要なことですが、そこまでの歩みをたどることも古典の研究として意味があるのです。
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