「装い」とは、人間の文化であり、欲望である
「装い」は文化そのもの
人間の装い、つまりファッションは、文化と密接に関係しています。古代においては、服装や装飾品、ボディペインティングやイレズミなどが、その人の身分や所属、経歴などを表していました。例えば、縄文時代の日本には、抜歯や歯を削って形を変える文化がありました。削り方は集団によって違っているので、相手の歯を見れば、その人がどこの集団に所属しているのか知ることができたとの説があります。
時代によって変わる意味合い
一つの文化の中でも、ファッションの意味合いは時代によって変化します。例えば、現代の日本の高校生は、校則によって化粧が制限されていることが多いです。しかし、明治時代の女学校では、むしろ化粧は奨励されていました。当時の女学校というのは、お見合い斡旋の場でもあったので、お化粧をしてきれいにしてお嫁に行くことが美徳とされ、お化粧をしないのは不良の始まりなどと言われていたのです。
装いというのは人間の業
たとえ化粧やイレズミをしない人でも、必ず髪の毛や爪を切るように、実は体にまったく加工をしない人間はいません。その程度が、文化によって違うだけなのです。先史時代や特定の民族では、イレズミなど苦痛をともなう装いが多く見られるため、野蛮だと思われがちですが、現代の西欧的な装いというものも、ネクタイをずっと締めていなければならないなど、ある意味で少しずつの苦痛を長期的に背負うものだと言えます。楽な格好をしていると、おしゃれとは思われません。人間の装いというのは、なんらかの苦しみや痛みをともなう、人間の矛盾した欲望の現れ、いわゆる業(ごう)のようなものなのです。
さらに現代社会では、装いとは、個性の主張という側面が大きくなっています。人間は、社会の規範からまったく外れることはできませんが、ある枠の中でなんとか自己表現をしようと試みています。校則の中でおしゃれを工夫するように、装いとは、自由と規範とのせめぎあいでもあるのです。
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