インターネットが浸透しても新聞やテレビがなくならないのはなぜ?
メディアとは本来「広告媒体」のこと
メディアを英語で書けば「media」で、「medium」の複数形であることは意外に知られていません。mediumは古くから中間や媒体などの意味で使われてきましたが、mediaは1920年代のアメリカ広告業界で使われ始めました。
メディア文化論では、メディアをまず広告媒体としての論理から追究します。例えば「教育はメディアによってどう変わるか」という問いは、「教育は広告媒体によってどう変わるか」と置き換えて考えるのです。
大切なのは内容より効果
一般に広告媒体としてメディアと言われるのは、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットの5媒体です。「広告」目的ですから、重要なのは内容よりも効果です。内容の真偽や高尚さよりも、それがどれだけ多くの人に、どれだけ強く影響したかが問われるのです。
社会全体の効果や影響を測るには、実験室では困難であり、歴史的アプローチをとる必要があります。だからメディア文化論とは、メディア史なのです。例えば、メディア論研究者として有名なカナダの学者・マクルーハンのデビュー作は『機械の花嫁』という、アメリカの広告史研究でした。メディア史とはいえ、メディアは広告媒体だから、資本主義の成立以前のことはあまり対象にしません。
メディアによる違いを考える
効果を考えるとき、例えば、同じニュースをテレビで見た場合と新聞で読んだときの違いが問題となります。新聞を読むときは活字を追うために意識を集中する必要があります。これに対してテレビやラジオなら、何か別のことをしながら見たり聞いたりできます。メディアとの向き合い方が異なれば、効果には差が出てくるでしょう。インターネットが登場しても、新聞やテレビがなくならないのは、広告媒体としての効果が異なるからだと言えます。メディア文化論では受け手における効果の違いまでを含めた多面的な考察が求められるのです。
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先生情報 / 大学情報
京都大学 大学院教育学研究科 教授 佐藤 卓己 先生
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メディア文化論、メディア史先生への質問
- 先輩たちはどんな仕事に携わっているの?