百年前の日本人は和食を食べていなかった? もうひとつの歴史を知る
死因から見える百年前の食事
今から百年前の日本人は何を食べていたでしょう? 伝統的な「和食」でしょうか? ところがちょっと違うのです。大正時代、大阪市の男性の死因の第1位は「肺炎」、第3位は「下痢」でした。では、第2位は何でしょう? 答えは「脚気(かっけ)」です。脚気とはビタミンB1の欠乏による栄養障害で、進行すると心不全を起こし死に至る病気です。今では少なくなりましたが、この時代は「国民病」といわれるほど多くの脚気の患者がいました。その理由は、「白米ばかり食べていたから」です。
脚気の原因の解明へ
精製した白米にはビタミンB1がほとんど含まれていません。当時の人々の食事は「たくさんのご飯と少しの漬物、味噌汁」が一般的でした。特に都市部では玄米より白米が好まれたのです。脚気の原因は長らくわかっていませんでした。当時、多くの脚気の患者がいた海軍では、食事を白米から麦飯へ変えたところ、脚気患者が激減します。それでも一般的には、白米にこだわった食生活はなかなか改善されなかったのです。脚気の研究は、やがて「ビタミンの発見」へとつながっていきます。
「もうひとつの歴史」を知る大切さ
第二次世界大戦後、日本人の食生活を大きく変えたのは実は「闇市(やみいち)」でした。ラーメン、カレー、餃子、焼肉、今ではとてもなじみ深いこれらの料理は、軍隊や海外から引き揚げてきた人々が闇市で作り始め、そこから広まったものです。そして、白菜やトマト、キャベツといった野菜も、戦後になって一般化しました。白菜が戦後というのは意外に思うかもしれません。
こうやって見ていくと、百年前には都市部の日本人はほぼ「白米」しか食べていなかったことや、私たちが思い浮かべる一般的な「日本の食事」は、少し前までの日本人は食べていなかったことがわかります。社会を学ぶには、こういった「もうひとつの歴史」を知ることも大事です。何事にも別の面があるということを知るのも、必要な教養なのです。
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大阪大谷大学 教育学部 教育学科 教授 高野 昭雄 先生
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