日本の近代史の中で果たした仏教の役割とは?
「お寺と檀家」の関係が生まれたのは江戸時代
仏教が日本へ伝来し、飛鳥時代に聖徳太子が政治に取り入れて以来、江戸時代に至るまで「日本仏教史=日本史」と言えるほど国の運営と深く関わってきました。江戸時代には今も続く「お寺と檀家(だんか)」という関係が作られ、それは、幕府が民衆に対して必ずどこかのお寺に所属しなければならないという「寺請(てらうけ)制度」を敷いたことに始まります。
幕府に代わって民衆管理をしたお寺
江戸時代の初めに定められた寺請制度は、キリスト教の布教活動を封じることが狙いでした。そして民衆の身分を証明する書類である「寺請証文」をお寺が発行するなど、民衆を管理する役割を担っていました。さらに、葬式は僧侶が行わなければならないとされたのも江戸時代で、仏教は民衆の生活に密着したものでした。
ところが、明治時代になると、維新政府は天皇を中心とした中央集権体制の確立を図ろうとし、天皇と関係の深い神道を国教とする政策を推進しました。そのために、民衆と仏教の関係を遠ざけようとする政策がとられるなど、仏教は多難な時代をむかえましたが、民衆に浸透していた仏教が人々の暮らしから消えることはありませんでした。
寛容な日本人ならではの「神仏習合」
日本では、一軒の家の中に仏壇と神棚の両方があり、結婚式は神社や教会で、葬式は仏式で行うことも珍しくありません。日本にはもともと神道があり、飛鳥時代に仏教が大陸から入ってきて、平安時代には神道と仏教をミックスさせた「神仏習合」の概念が定着していました。
農耕民族で調和や融合を大事にする日本人は、常に両方の良いところを取り入れてきたのです。明治政府は「神仏分離令」を出しましたが、今でも仏教の中には神道の要素も多く残っています。例えば、寺院に見られる「おみくじ」「しめ縄」などは、神道から発したものです。多神教であることは、寛容な日本人の精神性をよく表していると言えるでしょう。
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先生情報 / 大学情報
立正大学 仏教学部 宗学科 教授 安中 尚史 先生
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