戦いに戦いを重ねた濃厚な歴史ドラマ 中国の近代史を知る旅に出よう
群雄が割拠した「中華民国」時代
孫文が辛亥(しんがい)革命を起こし、清王朝を終わらせた1912年から、現在の中華人民共和国が成立する1949年までの間は、「中華民国」という国号の時代でした。三国志さながらにいろいろな派閥が争い、複数の勢力が台頭しました。革命を起こした孫文は国家の最高指導者になれず、優れた軍事力を持つライバルの袁世凱(えんせいがい)が大総統になりますが、独裁政治が反発を招き、失脚します。その後、孫文が立憲政治や民主国家を理想に掲げ、国民党を結成しましたが、1925年に死去したため、彼の弟子たちの間で争いが起きます。
直弟子対決! 汪兆銘vs蒋介石
その弟子のうちの一人、汪兆銘は孫文の思想を最もよく受け継ぐ人物で、同じ弟子の蒋介石と共に国民党に属していました。蒋介石は軍人だったため、あまり議会政治には重きを置かず、外国からの侵略に対しては戦って勝てばよい、という思想の持ち主でした。一方で、汪兆銘は孫文の思想を実現しようとしましたが、軍事力がなかったため、ちょうどその頃、国を侵略していた日本の軍事力を借りつつ、話し合いで解決するという立場をとりました。
国民党の勢力は二分され争いましたが、日本の敗色が濃くなったため、蒋介石側が有利になります。そして、汪兆銘は、反対派から狙撃されたときのけががもとで日中戦争の末期に亡くなりました。
そして今の中華人民共和国へ
汪兆銘の妻や仲間たちは、汪の死後、蒋介石によって1946~49年に行われた漢奸(かんかん)裁判で裏切り者であったとされ、汪自身も今の中国において歴史上の人物の中で一番の嫌われ者です。結局、蒋介石率いる国民党も最終的には共産党に負け、毛沢東による共産政治が始まります。このように紆余曲折を経て、農民が主だった国民に支持された現在の政治体制に至りました。
どの立場の人物も国を愛し、国をよくしたいという気持ちに変わりはありません。そして、その方法論の違いや争いの中に、現代の政治にもつながる重要な歴史ドラマが隠されているのです。
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先生情報 / 大学情報
國學院大學 文学部 史学科 教授 樋口 秀実 先生
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