森鴎外はドイツに留学して、何に驚き、何に共感したのか?
「ドイツ三部作」の源となった留学体験
森鴎外は明治・大正期に活躍した、近代日本文学を代表する作家です。その初期の代表作『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』の「ドイツ三部作」には、陸軍軍医であった彼が1884年から約4年間留学していたドイツでの経験が、非常に色濃く反映されています。外国についての情報がはるかに乏しかった当時、鴎外は何に驚き、感心し、共感したのでしょうか。
ジョッキでビールを飲む?
鴎外がドイツで滞在した街は、ザクセン王国のライプツィヒとドレスデン、バイエルン王国のミュンヘン、そしてプロイセン王国のベルリンでした。当時はドイツが統一されて間もない頃で、土地の雰囲気や人々のメンタリティも、地方によって今以上に異なっていました。几帳面(きちょうめん)で実直なタイプの人が多い北部、おおらかで人情味にあふれた人の多い南部、ドイツ語が堪能だった鴎外は、現地のさまざまな人々と交流して刺激を受け、その記録を日記や論文に書き記しました。
例えば、ドイツ人が大きなジョッキでビールを飲んでいる様子は、明治期の日本人である鴎外にはびっくりするような光景だったに違いありません。実際、彼はドイツ人が大量のビールを飲むことに興味を抱き、ビールの利尿作用に関する研究論文まで書いています。また鴎外は、ドレスデンで王室の関係者とも親しくなり、ザクセン国王に謁見(えっけん)するなど、19世紀ドイツの華やかな社交界とその文化に接する機会を得ました。そうした貴重な経験も、彼の創作に大きな影響を与えました。
日独文化交流のさきがけ
ドイツ人の中にも、鴎外たち日本の留学生との交流によって日本への関心をかきたてられた人がいました。鴎外がドイツで出会ったカール・フローレンツは、1889年から日本に留学し、帝国大学(現・東京大学)でドイツ語を教えるかたわら日本文化の研究に取り組み、帰国後はドイツにおける日本学の草分け的存在となりました。国を背負う形でドイツを訪ねた鴎外は、日本とドイツの双方に深い足跡を残したのです。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。
先生情報 / 大学情報
大東文化大学 文学部 日本文学科 教授 美留町 義雄 先生
興味が湧いてきたら、この学問がオススメ!
日本文学、比較文学、ドイツ文学先生への質問
- 先生の学問へのきっかけは?
- 先輩たちはどんな仕事に携わっているの?