ヒロシマを伝える・メディアの可能性を考えよう

ヒロシマを伝える・メディアの可能性を考えよう

ヒロシマについてあなたは何を知っていますか

1945年8月6日、ヒロシマの上空から原爆が投下されました。そのときの地獄のようなありさまや、それを体験したひとたちの人生が大きく変わってしまったことは、あなたも聞いたことがあるでしょう。しかし、原爆について世の中のひとがイメージできるようになるまでには、先人たちの血のにじむような努力がありました。敗戦直後は日本政府、次にアメリカ軍から、ヒロシマについて書くことや語ること、研究することが禁じられたのです。プレスコード(検閲)と言います。禁が解かれたのは、7年目以降で日本が独立を回復した後でした。

ヒロシマを伝えたひとの努力はどう実を結んだか

たとえ危険な目に遭ってもヒロシマを伝えようとしたひとのなかに、詩人の峠三吉、画家の四國五郎がいます。彼らは挿絵入りの詩集『原爆詩集』を世に送り出しました。あなたは、「にんげんをかえせ」というフレーズを聞いたことがありませんか。これが峠の詩の一節です。
1954年、太平洋ビキニ環礁でマグロ漁船・第五福竜丸が水爆実験の死の灰を浴びます。事件を契機に、ついに広島・長崎の被爆者が本格的に声を上げます。そしてNHKと四國の呼びかけにより、原爆の体験を絵にするキャンペーンが展開していきました。さらに、当事者の声を出発点として、世界中に核兵器をなくそうという運動が広がります。2017年、国連で採択された「核兵器禁止条約」は、こうしたひとたちの力があってこそ生まれたものなのです。

メディアには、記憶を継承する可能性がある

被爆者自身が原爆の絵を描く取り組みは、さらに発展していきます。広島市の基町高校の生徒たちが被爆者から話を聞き、1年かけて油絵にしていくのです。この取り組みは今も続いており、それを描いたドキュメンタリーは大きな反響を呼びました。詩、絵画、そして映像によるドキュメンタリーなどによって、ヒロシマの体験は被爆者だけのものではなくなっていきました。このような経緯を追っていくと、メディアの可能性が見えてきます。

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武蔵大学 社会学部 メディア社会学科 教授 永田 浩三 先生

武蔵大学 社会学部 メディア社会学科 教授 永田 浩三 先生

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メディア学、ジャーナリズム学、社会学

メッセージ

大学進学を控えて、不安や悩みを抱えているかもしれません。大学にいけば、それらがすべて消えるわけではありませんが、これまでとは違った人たちと出会い、キャンパスで自由を手にする中で、これまでとは違った自分を育てていくことが可能になります。今からわくわくしませんか。その時まで、本を読んだり、映画を見たり、いろいろな経験を積んでほしいと思います。友だちといっしょの時間ももちろん大事ですが、ひとり、孤独の意味を味わうこともまた大切な気がします。大学は素敵なところです。待っています。

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武蔵大学の特長は、充実したゼミ教育にあります。平均13名の少人数で開講されるゼミは約400種類。1年次からゼミや少人数形式の授業がスタートします。学生は教員や仲間との対話を通じて、物事の本質を見極め追究していきます。「ゼミ対抗研究発表大会(経済学部)」、「卒業論文報告会(人文学部)」、「シャカリキフェスティバル(社会学部)」、「Capstone Project Symposium(国際教養学部)」など、各学部内で発表・報告を行う機会があり、発信力を鍛えるとともに成果を生み出す喜びを体験できます。