江戸時代は借金100年返済が当たり前!明治政府による大改革とは?
廃藩置県で困ったのは誰?
明治4(1871)年の廃藩置県によって藩がなくなると、大名貸と呼ばれる商人が困りました。藩の借金である藩債の取り立て先があいまいになるからです。
そこで政府は藩債処分を実施し、大名の債務の一部を政府が肩代わりすることにしました。まず、債務が発生した年代によって藩債を3つに分類しました。そして、30年以上前の古債は切り捨て、比較的新しい債務は政府が引き受けることにしました。この債務に対して、新旧公債証書を交付しています。
藩債処分の意義
藩債処分には、2つの意義があります。1つは消滅時効の導入、もう1つは債権の保護です。
現在は、債権に期限を設ける消滅時効、つまり権利を行使しない状態が一定期間継続した場合、その権利が消滅する制度がありますが、江戸時代にはそれがなかったため、先祖の債務が子孫に受け継がれていました。返済も100年賦返済などが当たり前の時代でした。しかし、藩債処分によって、古債は切り捨てられることになりました。これは消滅時効の早期の例といえます。
また、旧統治機構の債務を新しい政府が引き受けるのは、世界的に見ても例外的なことです。例えば、ロシアでは、革命後の新政府は、帝政時代の債務を肩代わりしていません。明治維新という変革によってできた新政権が、大名の債務を部分的に引き受けたのは、債権者である大名貸に対する保護や救済の措置です。
財産権はなぜ守られる?
債権は財産権のひとつで、個人が持つ権利です。憲法第29条には、財産権は不可侵であると書かれています。財産権が保護されれば経済活動の意欲が湧きます。インセンティブという、人々に行動を起こさせる動機がなければ経済は停滞してしまいます。例えば海賊行為が取り締まられていない場合、わざわざ海に出て外国と取引をする気持ちにはなれないでしょう。明治維新を経て、日本が近代を発展的に歩んできた背景には、大名貸の債権を保護するなど、明治政府による当時の経済活動の下支えがあったのです。
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先生情報 / 大学情報
東京都立大学 経済経営学部 経済経営学科 准教授 小林 延人 先生
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