大阪のラジオ史から日本の近代化をひもとく
ラジオは人と人をつなぐメディア
人と人がつながるには、人々の間で共通の文化が必要です。音楽やラジオなどはその一つです。特にラジオは、読んだり書いたりする能力の有無にかかわらず、耳から聞くだけで誰でも情報を受け取ることができます。実は、大阪には独特のラジオの文化がありました。大阪のラジオの歴史から、日本の近代化の特徴をひもといてみましょう。
実はメディアは場所に縛られやすい
日本でラジオ放送が始まったのは1920年代です。東京のラジオでは「こちらJOAK」と、リスナーに英語を使って呼びかけ、西洋のクラシックやポピュラー音楽を流していました。それに対して大阪では、最初に神社の神主(かんぬし)が祝詞(のりと)を30分もあげ、その後に浄瑠璃(じょうるり)などを流していたのです。調べていくと、大阪の放送局があった場所は、ある神社の氏地(うじち)、つまり氏神の鎮守する土地でした。そのため、その神社の神主が祝詞をあげていたのです。
ラジオやテレビなどのメディアは、国境に縛られず自由に発信ができるイメージがあるかもしれませんが、実は場所にとても縛られたメディアであることも見えてきます。インターネットが、アメリカと中国で使われ方が全く違うのも、場所による影響を多分に受けているからです。
近代化=欧米化?
当時の最新メディアであったラジオで、あえて古くからある文化や身近なものを流した大阪ですが、決して大阪が時代遅れだったわけではありません。建築物などは早くから洋風のものが取り入れられていました。ただ、「近代化=欧米化」だった東京に対して、大阪では、近代化は地元の文化と融合しながら行われていたのです。
そして今、「グローバル化」が叫ばれています。日本では欧米化すること、欧米の標準に合わせることがグローバル化だと考える傾向があります。なぜそのように考えるようになったのか。それに対しローカルなことは見逃してよいのか。そのヒントも大阪のラジオの歴史から見えてくるでしょう。
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先生情報 / 大学情報
桃山学院大学 社会学部 社会学科 准教授 長﨑 励朗 先生
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