投書からひも解く、カルチャーと炎上の歴史
主張のツールとしての「投書」
現代は、誰もがインターネットで自分の考えを自由に主張したり拡散したりできますが、昭和時代の市民が主張できるツールは限られていました。その一つが「投書」です。当時の投書の目的は大きく2つありました。一つは「新聞や雑誌などのメディアに自分の意見を取り上げてもらうこと」で、もう一つは「特定の人物や作品に対するクレーム」です。
警察がコンプライアンス窓口に
昭和戦前期に投書が殺到していた機関として、警察があげられます。当時は警察が新聞や書籍だけでなく、映画やレコード、演劇の脚本といったエンタメ全般に対して、公序良俗に問題がないか等の検閲を担っていたからです。つまり警察が、現代のコンプライアンス窓口のような役割を果たしていたのです。そのためヒットした流行歌に対して、市民から「歌詞が子どもの教育上不適切だ」とか「販売を中止してほしい」などの投書が警察に寄せられていました。クレームの矢面に立った警察は、レコード会社に対して、検閲を経て許可したはずのレコードの販売中止を求めることがありました。市民の投書によって、市民のための娯楽の統制が進むという皮肉な結果につながったのです。
投書から浮かび上がるものは
当時、投書を行う市民はごく一部の「意識が高い」人たちで、主婦や教師が目立ちました。もちろん、中にはただ単に目立ちたいがために投書をした人もいたかもしれません。しかし、主婦たちの投書からは、「自分の子どもがメディアからの悪影響の結果、ロクな大人にならなかったらどうしよう」という切実な危機意識も感じられます。専業主婦が一手に子育てを抱え込み孤立していた時代。育児や教育に無関心な夫や男性社会へ向けた彼女たちの怒りや憤りが、投書として迸り、警察を動かしていたのです。
投書からは、当時のカルチャーや社会的背景だけでなく、個人が抱える複雑な感情などさまざまなことが読み取れます。現代の私たちが生きるうえでの、有益なヒントが得られるかもしれません。
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