文章だけでなく、歌でも歴史を伝える『日本書紀』

『日本書紀』と『古事記』の違い
7世紀から8世紀にかけて、東アジアの情勢は緊迫していました。こうした状況の中で日本は、これまでの歴史を記録として残す必要に迫られました。『古事記』は古い伝承に基づいているとされ、国家による支配の正しさを強調する内容となっています。『日本書紀』は歴史を客観的に編纂しようとしたもので、対外的に国家の権威を示す内容となっています。出来事を紹介する文章(散文)と歌で構成されているのは共通していますが、その目的や歴史の示し方は異なっています。
中国ではどう理解される?
日本国内で読まれることを想定していると推定される『古事記』と違い、『日本書紀』は中国の人が読む想定で書かれました。ただし、文章は完全な漢文であるのに、歌は日本語の音を漢字に当てはめるという不思議な書き方をしています。そのため意味と漢字が一致しない部分があり、現代で使われる例を挙げれば、「よろしく」→「夜露死苦」のようになっているのです。中国の人にとって、理解しにくいものであることは間違いありません。それでもすべてを漢文表現にしなかったのは、歌が日本の歴史を伝えるのに外せない手段であったからです。だとすれば、歌を中国の人が読めるようにしたらよいのですが、できなかったのか、それともあえてしなかったのか、現在も議論が続いているテーマです。
『日本書紀』の歌の立ち位置は?
研究の世界では、少し前まで歌だけを取り出して分析することが試みられていました。一方、一般の愛好家の人の中には、「伝承として楽しみたい」「記録として読みたい」など、文章を読むことに重きをおいて、歌に関心が薄い人たちもいます。しかし、歴史書の中に歌が入っているということは、双方が大きく関わり合うことを意味しています。歴史研究という意味でも、文学として味わう意味でも、『日本書紀』の問題として歌と文章(散文)をひとまとめに扱う必要があります。さまざまな謎について発信し、皆で一緒に考えていくきっかけをつくることも研究の役割だと言えます。
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二松学舎大学文学部 国文学科 講師長谷川 豊輝 先生
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