「女性教員の仕事と家庭の両立」問題を、多面的に読み解く

「女性教員の仕事と家庭の両立」問題を、多面的に読み解く

「職業婦人」と「母性保護論争」

日本では明治維新以降、急速に近代化が進み仕事の数が増えていきました。そのうち医師や教員などの男性がメインだった職に女性も就くようになり、そうした女性は当時「職業婦人」と呼ばれました。特に女性教員はほかの職業婦人と比べて身分が安定しており、結婚後も仕事を続ける割合が高い傾向にありました。ただ、男性教員よりも賃金が低いなどの理不尽や、「仕事と家庭の両立」の問題にも直面していました。そうしたなかで、1918年に歌人の与謝野晶子や作家の平塚らいてうなどにより、働く女性の自立や子育てについて論じる「母性保護論争」が起こりました。女性の権利や社会的地位向上を求めるムードが世の中に広まったのです。

「女性教員」の複雑な気持ち

当時、全国的な教育者団体である帝国教育会は、女性教員たちの意見を聞く場として「全国小学校女教員大会」の開催を始めました。その後、「部分勤務制」(今でいう育児・介護休暇)の可決に至ります。スムーズに決定したと認識されている一方で、近年の議事録などの再調査により、女性教員たちはこの制度の導入に反対していたことがわかりました。その理由は「男性教員が多いなかで休みを取ると賃金平等などがさらに望めなくなってしまう」というものです。国側の本音は「低賃金のまま女性に働き続けてもらいたい」ということであり、部分勤務制の整備は「母性保護」の旗の下、本音を隠すためのパフォーマンスだということを女性教員たちは見抜いていたのです。

公式資料ではわからない背景

また当時、女性教員は子どもに生活習慣を身につけさせるためのケア(母性)を主に求められ、勉強面の指導は、男性教員に大きな期待をされていました。しかし、女性教員たちは、決して「母性」だけではない「教員」としての誇りを持っていました。そして両立への支援が欲しくても、それを要求することで男性側の不満を増幅させ、一層弱い立場に追い込まれることのないよう奮闘していたのです。公式資料では明かされなかった重要な側面と言えます。

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日本女子大学 人間社会学部 教育学科 准教授 齋藤 慶子 先生

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メッセージ

「教育史」とは、過去に生きた人々の足跡に、これからの教育を創造する力や現在の教育問題を打開するヒントを得る学問です。自分に身近な事例や現代社会に即して、過去の子どもや親や教師などの姿をリアルに捉えることで、複雑・高度化していく現代社会と教育の可能性を見通すところに、「教育史」の面白さがあります。ぜひ、高校生のうちから「歴史的な出来事の背景には、どんな政治的、社会・経済的な意味があったのか?」という観点を持って学んでください。それが、現在の社会や未来を見通す力に結びついていきます。

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