ヘミングウェイ作品を五感で読み解く
「匂い」に秘められた主人公の心
『老人と海』『日はまた昇る』などを生んだアメリカの作家、アーネスト・ヘミングウェイの作品はシンプルな文体で知られ、主人公がタフでハードボイルドという印象が大半でしょう。しかし作中に描かれた「匂い」や「音」に焦点を当てると、別のイメージが浮かび上がってきます。
スペイン内戦が舞台の『誰がために鐘は鳴る』はアメリカ人の主人公がスペイン人のゲリラと共に闘うという物語です。一見、主人公はタフに見えますが、匂いに注目して読んでいくと彼の苦難や葛藤が見えてきます。
松の葉の意味は
一例を挙げましょう。主人公は橋の爆破という危険な作戦に消極的なパブロという男を臆病だと軽蔑します。パブロが近づくと「焚火の煙や人間の匂い、煙草、赤ワイン、そして真鍮のような淀んだ体の匂い」を感じ、そばにいた恋人のマリアの手の「粗い石鹸と新鮮な水の匂い」を嗅ぎます。彼女の石鹸の匂いでパブロの悪臭を「消臭」するような振る舞いは、主人公のパブロへの嫌悪やマリアへの愛情を表現しています。
しかし、それだけではありません。「真鍮」「血」「煙草」「(娼婦の)石鹸」などが入り混じった匂いが死の予兆であると聞かされた後では、主人公が思い浮かべるマリアの匂いは「死の匂い」を連想させる「石鹸」ではなく、「松の葉」の香りに変化します。松はアメリカでは石鹸や芳香剤、殺虫剤の香りに用いられる「清潔」な香りの代表であり、死を予感させる悪臭を打ち消す役割があると推測できるのです。すなわち、死に対する主人公の恐怖や葛藤が「匂い」への反応を通じて表現されているといえるのです。
五感でこれまでなかった読みを創造する
五感で読み解くことで、主人公の無骨でマッチョという一面的なイメージはガラリと変わります。研究では視覚や触覚などの感覚にも注目しつつ、心理学、脳科学、宗教学といったさまざまな学問はもとより、各国の文化や風習などとも照らし合わせます。五感による読みを行うことで文学作品の理解も変化し、より深まる可能性もあるのです。
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広島女学院大学 人文学部 国際英語学科 准教授 戸田 慧 先生
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