江戸時代の最先端美術は全国にどう広まった? 東北の地から考える
江戸時代の東北美術
江戸時代における日本美術について、例えば東北は江戸や京都から遠く離れているため、文化が伝わるのに数十年もかかったのでは、と考える人も多いでしょう。けれども実際にはそれほどのタイムラグはなく、江戸や京都で流行した絵画は同時代的に東北にももたらされています。
長崎から伝わった流行
江戸や京都で流行した美術のなかには、長崎の港に入ってきた異国文化がもとになっているものがあります。意外に思われるかもしれませんが、限られた窓口としての長崎まで、早ければ2週間程度で中国から往来できるため、新たな物産や文化が常にもたらされました。特に最先端の文化にいち早く触れたのは、長崎の通訳者たちです。なかには絵画を描く人もいたため、それを聞きつけた画家たちが入門のために全国から長崎にやって来たのです。そのような画家たちは往来途中で京都や江戸にも滞在して多くの人たちと交わり、そこで新たな文化を受け入れるとともに、自身が獲得した最先端の美術を広めました。
絵の主題や技法に注目しただけでも、どこで影響を受けたのかを追うことができます。例えば18世紀の東北で描かれた虎のモチーフがあります。あえて全身を描かず頭と体の一部をあらわし、画面上部に尻尾を添えます。この構図は長崎の画家が18世紀半ばから盛んに描いた表現でした。長崎で発信された美術が江戸や京都でも流行し、さらに短期間で東北まで伝わっていたことがわかります。
美術の発展に貢献したインフラ
江戸時代は街道や海路などの交通インフラが整備され、人々が全国を移動しやすくなった時代でした。そのため物産、技術、情報などの移動が早く、江戸や京都と地方との格差はそれほど大きくなかったとみられます。美術作品は技術と情報が結集した文化であり、それほど時を経ずに長崎から東北まで最先端の美術が伝わったとの事実は、インフラが整っていたことの証拠となります。美術作品を入り口とすることで、実は文字の史料だけでは見えてこない歴史の一側面が明らかになることも多いのです。
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先生情報 / 大学情報
東北大学 文学部 総合人間学専攻(大学院文学研究科) 教授 杉本 欣久 先生
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