渡航禁止の幕末に密航留学を果たした若者たち
幕末の密航留学
日本から留学や旅行で海外に行くのは今や当たり前のことですが、幕末の1866年までは日本人の渡航が禁止されていました。しかし、その数年前にロンドンへ密航留学した若者たちがいます。1863年には長州藩から5人、1865年には薩摩藩から19人がロンドンに渡り、大学で学びました。彼らは外国商人を通じてひそかに渡航したので、当時の幕府は把握していません。そのため、幕府の役人が公式にロンドンを訪れ、銀行のゲストブックにサインしようとすると、自分よりも前に日本人の名前が書かれているのを見つけ、飛び上がるほど驚いたとされています。
半年で語学を習得
当時の長州藩と薩摩藩は犬猿の仲でしたが、留学生たちは同じ日本人として団結しました。一方で、幕府は密航留学を黙認するはずもなく、強制送還を要求しますがイギリス政府は応じませんでした。日本の政変を見越して、長州藩と薩摩藩との関係を重視したのでしょう。現地での理解もあり、学びを続けられた留学生の中には伊藤博文と井上馨がいました。彼らはアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊が下関を攻撃する機運を察知して半年での帰国となったにもかかわらず、四国連合艦隊との講和談判交渉では通訳として活躍しています。わずかな期間で語学を習得し、さらには政治や国際法までも学んできたことは驚くべき成果です。
外国での学び
長州藩の山尾庸三は、ロンドン大学で学位を取った後、グラスゴー大学に移って造船を学びました。大学は夜間に通い、昼間は造船所で働いていると、健常者と一緒に障害者が働いている光景を目にします。当時の日本では、障害者は隔離されて健常者と共に暮らすことはありませんでした。帰国した山尾は、日本で最初となるろうあ学校を設立しています。外国での学びから多くの見聞を得て、日本の問題点を見つめ直す機会となったのです。歴史の転換点の偉人として語られる彼らは同時に、若者が果敢に海外に向かい貪欲に学ぶことの可能性を示してくれています。
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