日中友好の歴史について再考する
「文化交流」は友好の証なのか?
日本と深い関係にある中国。この二国間の歴史を振り返った時、「日清戦争からの50年を除いては友好的であった」とよく言われます。2007年に温家宝首相が来日したときも、「中日2000年の友好の歴史」と言っていたように、これがほぼ日中両国政府の公式的見解です。でも、本当に近代以前の2000年という長い歴史を友好という言葉でひとくくりにできるのでしょうか。
日中友好を証明する具体的事象をあげてもらうと、最も多くあがるのが「文化交流」です。漢字や仏教などの文化をはじめ、古代から日本が中国から多大な影響を受けていることは確かですが、これを単純に友好の証と言ってもいいのでしょうか。歴史の中では、戦争や侵略、あるいは経済的な交流に付随して文化が伝わってくることも多く、実は文化交流というのは、必ずしも友好関係の結果であるとは言えないのです。
実証のともなわない歴史解釈からは何も生まれない
中国人の伝統的世界観として、「中国が世界の中心で、その思想や文化が最も価値がある」と考える中華思想があります。日本は近代以前の中国にとって、あまり気にもならない国で、自分たちよりも下に見ていたという見解もあります。よい例が、足利将軍が受けた「日本国王」の称号です。中国では、日本と違って「国王」は「皇帝」の臣下ですから、国王の称号は、明の皇帝に従う臣下として認められたということの証でした。一方、日本にとって中国は、いろいろな意味で意識せざるを得ない存在で、歴代の政権の多くは中国への従属を拒否してきました。
このような事実から、日中は単純に「友好」の一言で語れるような歴史を歩んできたとは言えないように思えますが、これはもちろん日中友好の意義を否定するということではありません。一面的であったり実証のともなわない歴史解釈では、現在や今後の日中関係を論じることはできないということです。歴史を考えるときには、既存の歴史観から一旦自由になってみる必要があるかもしれません。
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