マイノリティを生きるとはどういうことか?
自分が自分であることに緊張を強いられる
普通や当たり前ではない存在であるがゆえに、自分が自分であることに緊張を強いられている人びとがいます。そうした人びとのことを「マイノリティ」と呼びます。最近はLBGTQを性的マイノリティと呼ぶようになったので、その言葉に触れる機会も増えましたが、さまざまな境界や制度、概念が人間という存在をマイノリティとマジョリティ(=普通や当たり前の存在)に区分していますので、世界中の多様な領域、地域、分野にマイノリティは存在しています。彼/彼女たちの多くは、何らかの意味で差別されたり偏見のまなざしを向けられたりする社会環境のなかで自分が自分であることに緊張をしているのです。
少数だからマイノリティというわけではない
マイノリティとは少数派とされています。確かに大半のマイノリティはマジョリティに比べると圧倒的に少数です。例えば、少数民族と呼ばれる人びとはマイノリティに位置づけられるでしょう。しかし、数の少なさ以上に、マイノリティであることを本質的に規定するのは、自分たちのことを自分たちで決める力がマイノリティはマジョリティよりも少ないという点です。そして、マイノリティを生きるということは、その困難な状況を生きるということに他なりません。
一様ではないマイノリティ
マイノリティとはマジョリティの価値が当然・当たり前とされるなかで緊張や困難に向き合う者たちです。しかし、だからと言って、彼/彼女たちを一方的にかわいそうで弱くマジョリティの助けが必要な存在と考えることは間違っています。彼/彼女たちの緊張や困難は軽減されるべきですが、社会のなかで自分たちをどのように位置づけるのか、マジョリティとの向き合い方をどうするのかは、マイノリティのなかでもさまざまです。マジョリティの価値観を一定程度引き受けつつなんとか生き抜こうとする者、マジョリティの価値観に異議申し立てをしてマイノリティの正当性を主張し居場所を確保しようとする者など、さまざまなマイノリティがいるのです。
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先生情報 / 大学情報
東北文化学園大学 現代社会学部 現代社会学科 教授 崔 博憲 先生
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