動物か植物か、生か死か、「粘菌」が教えてくれるもの
粘菌の不思議な生態
単細胞生物である粘菌は、自宅の庭や公園、森林など私たちの身近なところに生息しています。アメーバ状の体を動かして、エサとなるバクテリアなどを捕食します。バクテリアは森の朽ち木などに生息しており、これらを粘菌が食べることで木の朽ちるスピードを緩やかにして、森林の環境を守る役割も果たしています。
しかし、ある時期を迎えると粘菌は子実体(しじつたい)と呼ばれる状態に変身します。一切の動きを止めて胞子を放出し、そこから再びアメーバ状の粘菌が生まれます。実態がわかりにくい、非常に不思議な生き物なのです。
粘菌と思想
日本における粘菌研究の先駆者が、南方熊楠です。博物学者であり、宗教や民俗の研究者でもあった熊楠は、粘菌の生物学的観察だけでなく、そこから独自の思想を構築しました。熊楠は粘菌に同居する「動と静」「生と死」という矛盾した要素を、この世のあらゆる事物は相互に連関しあっているという仏教的な教えにつなげて考えました。また、熊楠がその思想の核を表したとされる「南方マンダラ」も、書かれた年代などから考察すると、アメーバ状の粘菌の生態の研究が大きく影響していると考えられています。
「触れる」ことの大切さ
粘菌と人間は姿かたちが全く異なりますが、「触覚」をもつという点では共通しています。脳や神経をもたない粘菌がバクテリアを捕食できるのも、対象に触れて知る触覚が発達しているからです。一方、情報化社会を生きる現代人は「視覚」に頼る一方です。特にコロナ禍以降は、何かに「触れる」行為が忌避される傾向が強まっています。しかし、例えば粘菌をモチーフにした表現、特に手指を使ってアメーバ状の動きをさまざまに表現するアート活動がありますが、これは「何かに触れる」ことの大切さを改めて教えてくれるものです。このように、生物、哲学、思想、美術と、さまざまな切り口から考えられている粘菌には、多くの研究者を引き付ける魅力が秘められているのです。
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