「言葉から生まれた」アゼルバイジャン人
東ヨーロッパと西アジアの交差点
アゼルバイジャン共和国は、東ヨーロッパと西アジアの境目に位置する国です。北にロシア、西にトルコ、南にイランがあり、さまざまな国の影響が混じり合った独自の文化を生み出してきました。かつてはソビエト連邦を構成する社会主義国でしたが、1991年に独立して現在のかたちになりました。長い歴史を持ちますが、意外なことに「アゼルバイジャン人」という民族意識が生まれたのは比較的遅く、ロシア帝国に征服された19世紀初頭頃だと言われています。
民族意識の形成
アゼルバイジャンはイスラムの文化圏に属し、国民の大多数はトルコ系の民族が占めています。そんな国がロシア帝国に征服されたことをきっかけに、この三者のどれとも異なるアゼルバイジャン人という独自の民族意識が形成されました。多くの国では場所の名前が先にあり、その名前に由来した民族意識が形成されるというプロセスが取られています。ところがアゼルバイジャンでは土地由来ではなく、言語が先という極めて特殊なパターンから民族意識が生まれました。アゼルバイジャン語を話す人々がアゼルバイジャン人というアイデンティティを形成し、本来はイラン南部を指す名称だったアゼルバイジャンが国名に選ばれたのです。
女性たちの離婚裁判
歴史学の研究を進めていくと、現代の常識では考えられない出来事や、私たちの思いもよらぬ考え方や社会制度に出会うことがあります。かつて、アゼルバイジャンでは、男性が女性をさらって無理やり妻にする誘拐婚が行われていました。ところが19世紀に入りロシアの支配を受けるようになると、結婚には男女両方の合意がなければいけないという認識が生まれます。その結果、無理やり結婚させられた女性たちが、離婚を求めて裁判を起こすようになりました。歴史学研究において、離婚裁判のようなミクロな事象の背景に、民族意識や国の社会制度といったマクロなテーマが浮かび上がるケースの一例です。
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先生情報 / 大学情報
龍谷大学 文学部 歴史学科 東洋史学専攻 准教授 塩野﨑 信也 先生
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