宗教改革運動を支えていた「口伝え」
宗教改革の始まり
1517年、ヴィッテンベルク大学の神学教授だったマルティン・ルターによって、ローマ教皇を頂点とするカトリック教会の免罪符(贖宥状)に対する批判文書が出され、そこから「宗教改革」が始まりました。ただし、始まった時期と続いた期間は諸説あります。実際にはルターだけでなく、スイスのツヴィングリやカルヴァンなど、それぞれの主義主張が広められました。
民衆はどう改革運動の知識を得たか
その頃から印刷技術が改良されて、カトリックに対するプロテスタントの宣教にも効果を上げたと考えられています。しかし、文字を読めない人が多かった民衆の間にもルターらの教えが広まっていったのは、印刷物以外にも力のある媒体があったからです。そのひとつが、集会や説教を介する「口伝え」でした。体制側のカトリックが取り締まっていたため、教会でなくとも一般の住宅に人々が秘密裏に集まって説教を聞くということも盛んでした。現代でも同様に、直接会って話すこと以上に効果の高い情報伝達媒体はないと言えます。宗教改革は、そうした活動を通じてヨーロッパの各地で広まっていったことが、近年の研究によって明らかにされています。
口伝えは紙の文献が残らないことが多く、また住宅での秘密集会も、長い間、詳しいことはわかっていませんでした。研究では取り締まっていたカトリック側の審問記録が役立ちました。埋もれていた文献を研究することで、裏付けられたのです。
単純化されて広まるプロパガンダ
当時ドイツは神聖ローマ帝国に属しながら、皇帝の下で強い権力を持つ領邦君主たちが各地を支配する「領邦国家」の時代でした。その領邦君主がルターを守ったように、ローマ教皇は必ずしも絶対権力を振るえませんでした。ドイツでは宗教改革の大衆化にともない、ローマ教皇やカトリック教会への批判は単純化されていきました。なんと、ローマ教皇をキリスト最終最大の敵であるアンチキリストとするビラなども残っているのです。
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